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2011年07月26日

自分の心で評価するクセをつけよう!

おはようございます。

株式会社NLPフィールドの酒井です。


子供の頃、一学期が修了した頃には通信簿をもらいます。
今の評価は絶対評価といって、「1」と「5」が同じ数ではなく、「5」が多くても構わないそうです。そのため、評価インフレというものが起こっていると聴いたことがあります。

私の頃は、相対評価でしたので同じ数の「1」と「5」があったので、今よりもシビアに評価された点数について一喜一憂していたのかもしれませんね。

でも、そもそも評価とはどういうことなのでしょうか?
これは、学校でもいろいろと問題になっていることでしょう。


まず、全体的には学校は何をするところか、からの定義で評価軸が変わってきます。

人間全体を育成する目的なのか、知識を学ぶことが重要なのか。
私たちの頃は、学歴社会でしたので建前は前者でも、実態は後者でした。

そのため、ほぼテストの点数をどれだけ取るかが勝負の分かれ目になってきます。

おそらく、今は前者の方向性を高めているために絶対評価になっているのでしょうが、もし、前者の方向に設定するのあれば、その評定をテストの結果だけでなはく、学習態度や学習の周囲への協力度なども評価することが必要でしょうし、知識以外の項目をもっと評価していくこともたいせつになるでしょう。


そのときには、理想論と現実論でどこまで折り合いがつけられるか、また学校ごとの教育理念などの方向性との一致が必要になるのかもしれませんね。


ということで、今週のテーマは「評価〜通信簿」です。


話は変わりますが、私は中学校の頃、親の転勤で関東に行くことが決まりました。

当時は内申書が高校の進学に影響する、ということを言われていたので、
私もあまり不利にならないように慎重に学校生活を送っていた記憶があります。
いい子でもあり、先生から見ると真面目で手がかからない子だったように思います。

一つ下には妹がいて、妹の女のお友達が窓から「酒井さんのお兄ちゃんよー」とよく冷やかされていました。
思春期だったこともあり、当時はとても恥ずかしかった。

はじめは、そんなことから始まったのですが、
私が中学3年生の頃、下の学年の野球部の悪ぶった奴のひとりに一度だけ絡まれたことがありました。


神戸でしたので、もともと柄の良いところではなかったのですが、
私は比較的そういったことに絡まれたことはなかったのですが、
そのときに年下からということで、
「こいつ俺のことなめとんのか!」と無性に腹が立ったことを覚えています。

しかし、中学3年で、私はこれから関東の全く知らない場所に行くために、私を知ってもらえるのは内申書ぐらいであり、ここで大喧嘩してそれに傷がついたり、もしくはどこかで親を悲しませるのは申し訳ないな、(親には反抗していましたが)という気持ちのほうがかなり勝っていました。

そして、それ以上に自分が怒ったら「人を殺してしまうんじゃないか」というような感情のコントロールができていなかったことがありました。

このときに強烈な感情を私は抑えこみ、記憶の奥に入れました。


それからは、あのときにケンカしなかった自分は自分ではなく、俺はもっと俺の力を証明したい、というようなことを感じていたことを覚えています。


その記憶は、大人になっても私の脳裏に張り付いていて、何か自分自身が相手から脅かされたりすることがあるとむくむくと湧いてくるようになり、とてもイライラしたり、周りに対して怒りを感じたりしたものです。

しかし、それ以上に「良い子」のプログラムが自分には働いていて、ここで怒るとどうなるかという結果が自分にどう降りかかるかを考え、それ以上に周りが自分のことをどう評価するのか、「やさしい自分」という印象が崩れてしまうのではないのかという感じがありました。


自分の感情に素直になることよりも、周りの評価や自分がどう見られるかばかりを気にして、自分の気持ちを押し殺し続けていたのです。

これは人生の中で本当に苦しかった時期でした。


おそらく、その怒りのエネルギーが外に出て行かないために、
自分の内側に向かい、病気を作り出したように思います。

また、家庭で反抗していたのも外での怒りを発散させる場所になっていたんでしょうね。


しかし、NLPを学んでからは変わりました。

特にゲシュタルト療法の手法が役立ちました。


当時の中学時代に戻って、相手に向かって自分の怒りの感情を全て吐き出しました。
固着したエネルギーに動きをつけたのです。

そしたら、それ以来あのときの記憶を思い出さなくなりました。


記憶は感情が強いものほど思い出しやすくなります。

その感情を解き放ったときに、それは他と同じ一つの記憶に戻りあまり主張しなくなったのです。



評価というには、私たちの一部だけを捕まえようとします。
とくに、外側から評価されることは目に見えることばかりです。

しかし、私たちが自分を評価しようとするときに、他人の目を通してしまうと外側にばかり目が向いてしまいます。
私たちが自分を評価する目は心の中にあります。


自分が自分で感じている気持ちを素直に受け取ること、考えていることに気づくこと。
これがNLPフィールドで大切にしていることです。

そのためには評価する自分を好きになる必要があります。
ありのままの自分を受け止める必要があります。

NLPフィールドで提供したいNLPは、そんな姿です。


私たちのところで学ぶ受講生たちは、自分を受け入れ始めることができるからこそ
自分に本当の機会を与えてあげようとしています。




posted by nlpfield at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | さかいの日記