皆さん、こんにちは。Fumikoです。
今週のテーマは「自由」。
私は現在、鎌倉にある、知的障害者の施設で
対人支援の仕事をしています。
そこには、約70名ほどの人たちがいるのですが
一言も言葉を話せない人もいれば、
トイレの訴えをすることができない人、
言葉は話せても、現実と妄想がごっちゃになっている人、
加えて身体障害もある人など本当にさまざまな人たちがいます。
そんな中、私が担当しているクラスの中で
20代の全盲の女の子がいます。
知的障害に加えて全盲のため
着ること、食べること、トイレ、お風呂など
生活全てにおいて介護が必要です。
そんな彼女の毎日着てくるお洋服が
とても可愛らしいものばかりで、
綺麗なクリーム色のタートルネックセーターや
鮮やかな紫色のジャンパー、
そして下着まで、花柄や水玉のプリントがついていて、
本当に可愛らしいものばかりなのです。
おそらくお母さまの愛情なのでしょう。
でも、本人はそれらがどんなものかを見ることはできません。
毎日、親が与えたものを来ているだけです。
でも、その彼女を見ていると、
何を着るかを自分で選ぶことはできないけれど
何を着るかということに全く左右されない、
「私はわたし」という非言語のメッセージを
いつも感じるのです。
私たちは、ともすると、目が見えないという
“不自由さ”だけに意識が向きがちですが
そのことが逆説的にもたらしてくれているもの、
つまり、着るものへの「執着心」から全く解放された
ある意味『自由』な状態を得ているということを
彼女は教えてくれました。
普段、私たちは着るものに限らず、多くのものことに対して
「自分らしさ」や「こだわり」などを大切にしていて、
自分で選ぶという選択肢、つまり『自由』があるわけですが
時どきは、彼女を見習って、この恵まれた環境に感謝をしつつ
意識の中だけでもそれらを一度、手放して
“素”の状態になってみたいと思う今日この頃です。
「私はわたし。」
何を着るか、何を持っているか、何をするか、
などに全く関係なく
「私はわたし。」
【ふみこの日記の最新記事】
いいですね!
左右されない私
自分を信頼できる私でいたいです。
ふみこさんのようにね(*^^)v
メッセージありがとうございます。
「私はわたし」。
ともよさんには既にありますね(^^)
ともよさんだけにしかないものが。