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2011年05月26日
自分の想いと繋がる
皆さん、こんにちは。Fumikoです。
今週のテーマは「英語」。
かれこれ16年前に転職がきっかけで渡った香港では
ありとあらゆるカルチャーショックが私を襲いました。
その中でもかなり衝撃的だったことのひとつが
ほとんどの人が最低3か国語、もしくは4ヶ国語を
話せるということでした。(!!)
母国語である広東語(中国語のひとつ)に加えて、
北京語、英語は当たり前、そして
日本への留学経験がある人だと、それに日本語が話せ
または家族の事情などでカナダで生まれたという人は
フランス語が話せるのでした。
つまり、“英語を話せること“というのが
何の自慢にもならないくらい普通のことだったのです。
「この人たち、いったいどういう頭の構造をしているんだろう?と」
当時の私は、自分の才能のなさにかなり落ち込みながら、考えたものです。
そして、香港の街に根を張って暮らしていくうちに
香港人と日本人の大きな違いに気づくことがありました。
それは
「香港人は英語を決して上手く話そうとはしていない」
ということでした。
私の住んでいたアパートは「チムサーチョイ」という
香港の中心にあり、周囲には美味しい地元の食堂から、
市場、果物屋さんなど、生活に密着したありとあらゆるものが
手にはいるとても便利なところでした。
そしてある日のこと、
いつも利用する小さな八百屋さんの太ったおばさんが、
西洋人相手に、おそろしくへたくそな英語で
自分のお店の大根を売りつけているのを目撃しました。
いかにその大根が、余所では手に入らないくらい、
新鮮で美味しいものかを売り込んでいるのです。
発音は、お世辞にも上手いとはいえず、文法だってかなりいいかげん。。。。
でも、なんとその西洋人は、おばさんに勧められた大根を買っていったのです!
つまり、コミュニケーションがとれていたということです。
そのおばさんが、どこかの英会話学校に通っていたなんて到底思えません。
多くの日本人が、最低6年間は英語を学び、
中には非常に難しい受験英語の単語を沢山知っているのに、
いざとなると英語を話せないと思っているとはよく言われます。
英語を話すこと=目的 ではなく、
その先にあるもの、
例えば大根を買って欲しい、とか、
あの人に好きだと伝えたい!とか、
その人が心の底から望んでいることと繋がることができれば
上手かどうかとか、正しいかどうかにかかわらず
英語でもコミュニケーションは充分、とれるのです。
この私が、そうやって香港で生きていくことができたのですから。
人の想いって本当に不思議です。
まずは「上手に」とか「正しく」というのを手放して
自分の内側にある想いに繋がってみませんか。
2011年05月13日
ふるさとの味
皆さん、こんにちは。Fumikoです。
今週のテーマは「ふるさと」ですね。
2週間ほど前に、いつも行く近くのスーパーマーケットの魚売り場に行って
びっくりしました。
「あっ! ちか がある!!」
隣にいた私の旦那さんが
「何、それ?」
「え? ちか って知らない?」
「聞いたこともないし、見たこともないし、食べたこともない。」
「!!!!!!」
私が、まだ北海道にいた頃
ちかは、よく我が家の食卓にのったお魚でした。
わかさぎに少し似ている小さな魚、というと
イメージが沸く方もいるかもしれませんね。
北海道の魚と言えば、ほっけや鮭がありますがが、
それらに比べると、存在は地味で味もずっと淡白なのですが
素朴でなんともいえない美味しさがあるのです。
そして、考えてみると、実家を出てからかれこれ20年近く
ちかを食べることがありませんでした。
パックの表示をみるとなんと「北海道産」と書いてあって
なおかつ「築地直送」。
10何匹も入っていてたったの240円です。
迷わず買って家に帰り、即、母に電話をしました。
念のため、どの食べ方が一番美味しいのかを聞きたかったのです。
母の助言に従って、魚の表面に小麦粉をさっとまぶし
からりと素揚げしたあとに、さっとお塩をひとふりだけしました。
からりと揚がった、表面の香ばしさと、中の身の
ふっくらとした食感となんともいえない、上品な甘さが
口いっぱいに拡がって、思わず夫婦二人で揃って
「美味しい〜〜〜!!」
と声をあげてしまいました。
見るもの、聴くものなど、五感は全て記憶とつながっていますが
とくに味覚は、ふるさとの思い出と直結しているのだなあと
改めて思いました。
私が久々に揚げた、ちかの味は、たぶん昔母が作ってくれた料理には
比べものにならないものだったと思うのですが、
それでも、かつて父と母とともに食卓を囲んだときの
光景がありありと蘇ってきました。
考えてみると、このブログを書いている三人の仲間全員が
地方都市出身だということに改めて気がつきました。
三人それぞれに「ふるさとの味」を持っているのでしょうね。
思わぬことから、ふるさとに触れることができた瞬間でした。
2011年05月06日
誕生から与えられた贈り物とは?
みなさん、こんにちは。Fumikoです。
今週のテーマは「誕生」ですね。
皆さん、この世に生まれてきたときのことを覚えていますか?
半年前に知人が貸してくれた本がきっかけで
出会い、今も現在私を魅了して止まない
精神科医の故エリザベス・キューブラー・ロスは
1926年にスイスのチューリヒで三つ子の長女として生まれました。
そのときの体重はわずか900グラム(!)で
絶対に生きられないと言われていたそうです。
そして、当時、三つ子で生まれたことの悲劇を
自叙伝の中で非常にユニークに綴っています。
あまりにも三人がそっくりで、親でもしょっちゅう
見分けがつかなかったこと。
そして三人ともいつもお揃いの洋服を着させられ、
同じおもちゃを与えられていたこと。
学校に上がっても、先生たちも三人の区別がつかないので
いつも全員が同じ平均値であるCという成績を与えられていたこと。
そして圧巻は、妹が初めて同級生とデートをすることになった
当日の朝、高熱を出してしまい、キャンセルすることで
二人の仲が壊れてしまうのを恐れた妹に代わって、
姉であるエリザベスがこっそり代理(?)でデートに行くのですが
相手の男性が最後まで気がつかなかった(!)という
信じられないようなエピソードが描かれています。
この誕生にまつわる彼女の境遇と幼年時代の環境が
エリザベスにもたらした最大の贈りものは何だったと思いますか?
それは
「私とは一体誰なのか?」
という自己のアイデンテティを探求する
精神だったのです。
その精神は、その後彼女の運命を開いていく鍵となり
70余年という彼女の生涯を通じて彼女を支えていきます。
私たちも、エリザベスほどの、衝撃的なものでないにせよ、
誕生にまつわる何かが、私たちの無意識に入り込み、
自分でも気がつかないうちにその後の人生を
左右していることがあるかもしれません。
自分の誕生にまつわるエピソード、
もしそれが可能であれば、ご両親や周囲の人から
聞いてみてはいかがでしょうか?
思いもかけない、新たなアイデンテティの発見があるかもしれません。
今週のテーマは「誕生」ですね。
皆さん、この世に生まれてきたときのことを覚えていますか?
半年前に知人が貸してくれた本がきっかけで
出会い、今も現在私を魅了して止まない
精神科医の故エリザベス・キューブラー・ロスは
1926年にスイスのチューリヒで三つ子の長女として生まれました。
そのときの体重はわずか900グラム(!)で
絶対に生きられないと言われていたそうです。
そして、当時、三つ子で生まれたことの悲劇を
自叙伝の中で非常にユニークに綴っています。
あまりにも三人がそっくりで、親でもしょっちゅう
見分けがつかなかったこと。
そして三人ともいつもお揃いの洋服を着させられ、
同じおもちゃを与えられていたこと。
学校に上がっても、先生たちも三人の区別がつかないので
いつも全員が同じ平均値であるCという成績を与えられていたこと。
そして圧巻は、妹が初めて同級生とデートをすることになった
当日の朝、高熱を出してしまい、キャンセルすることで
二人の仲が壊れてしまうのを恐れた妹に代わって、
姉であるエリザベスがこっそり代理(?)でデートに行くのですが
相手の男性が最後まで気がつかなかった(!)という
信じられないようなエピソードが描かれています。
この誕生にまつわる彼女の境遇と幼年時代の環境が
エリザベスにもたらした最大の贈りものは何だったと思いますか?
それは
「私とは一体誰なのか?」
という自己のアイデンテティを探求する
精神だったのです。
その精神は、その後彼女の運命を開いていく鍵となり
70余年という彼女の生涯を通じて彼女を支えていきます。
私たちも、エリザベスほどの、衝撃的なものでないにせよ、
誕生にまつわる何かが、私たちの無意識に入り込み、
自分でも気がつかないうちにその後の人生を
左右していることがあるかもしれません。
自分の誕生にまつわるエピソード、
もしそれが可能であれば、ご両親や周囲の人から
聞いてみてはいかがでしょうか?
思いもかけない、新たなアイデンテティの発見があるかもしれません。
2011年04月22日
私の欠落時代
みなさん、こんにちは。Fumikoです。
今週のテーマは「新入社員」。
この言葉を聞いたときに最初に立ち上がってきたのは
「私には新入社員時代はなかったなあ」という思いです。
いわゆる、自分の人生においての喪失感、もしくは
欠落感と結びついているのです。
私は、高校2年生の時に出会った
1歳年上の恋人からの影響も手伝って、
それまでの既成の価値観や、親からの期待、そして
多くの人たちが何の迷いもなくいいと思っている
常識的なことがらに対して、
全てを否定的に見るようになっていました。
それは、とりもなおさず学歴重視の社会への疑問、
一流会社への就職の偏重に対する
アレルギーといってもいいほどの拒絶反応になり、
さまざまな紆余曲折を経たあとに
マスコミの世界へ入ろうと思った私に用意されていたのが
北海道放送局の“契約社員”という道だったのです。
いわゆる正社員とは違う身分だったゆえに
真新しいスーツに身を包んでの入社式や、
新入社員研修もありませんでした。
また、放送業界というある意味特殊な業界だったことも手伝って
何か自分には「新入社員」という時代が欠落した感じがあり
その頃から(?)人とは違うステップを歩み始めたような気がするのです。
その後、私がどのような人生を送ることになっていったかは
また別の機会をお楽しみに!
2011年04月13日
自然の偉大な摂理
みなさん、こんにちは。Fumikoです.
今週のテーマは「季節」。。と思ったときに
ふと、こんな考えが頭をよぎりました。
“もし神様がいたとしたら、
どうして神様は、春夏秋冬という四季を作ったのだろう?”
ということです。
私は以前、春が一番好きだということを書きましたが、
もし12ヶ月ずーっと春だったら
今よりも嬉しく感じるのでしょうか?
もし、誰か秋が一番好きだとしたら、今月も、来月も、
再来月も、ずーっと来年も秋が続くとしたら、
その人は今以上に毎日がハッピーになるのでしょうか?
こう考えると、
一見当たり前に思っている、この四季の移り変わりが
とてもとても意味のあるものに思えてきます。
そして、この四季の移り変わりは
私たちの人生にも似ている面があるかもしれません。
例えば冬は寒くて凍てついているけれど、
決して何かが終わったわけではありません。
樹木はいずれ訪れる春が来る時まで
じっとエネルギーを貯めているのです。
私たちの今がどんな状態であっても、
そこにはやるべきことがあり意味があります。
そして必ず、次の“季節”つまり次の段階に移っていきます。
昨日と今日は同じではありません。
そして、明日は今日とはまた違う一日です。
自然の偉大な摂理に感謝し、
そしてその摂理の中で生きている私たち人間の存在を
少し不思議に感じた今日でした。
それではまた来週。
今週のテーマは「季節」。。と思ったときに
ふと、こんな考えが頭をよぎりました。
“もし神様がいたとしたら、
どうして神様は、春夏秋冬という四季を作ったのだろう?”
ということです。
私は以前、春が一番好きだということを書きましたが、
もし12ヶ月ずーっと春だったら
今よりも嬉しく感じるのでしょうか?
もし、誰か秋が一番好きだとしたら、今月も、来月も、
再来月も、ずーっと来年も秋が続くとしたら、
その人は今以上に毎日がハッピーになるのでしょうか?
こう考えると、
一見当たり前に思っている、この四季の移り変わりが
とてもとても意味のあるものに思えてきます。
そして、この四季の移り変わりは
私たちの人生にも似ている面があるかもしれません。
例えば冬は寒くて凍てついているけれど、
決して何かが終わったわけではありません。
樹木はいずれ訪れる春が来る時まで
じっとエネルギーを貯めているのです。
私たちの今がどんな状態であっても、
そこにはやるべきことがあり意味があります。
そして必ず、次の“季節”つまり次の段階に移っていきます。
昨日と今日は同じではありません。
そして、明日は今日とはまた違う一日です。
自然の偉大な摂理に感謝し、
そしてその摂理の中で生きている私たち人間の存在を
少し不思議に感じた今日でした。
それではまた来週。
2011年04月07日
心の底から信じること
みなさん、こんにちは。Fumikoです。
今週のテーマは「受け継がれるもの、受け継いでいくもの」です。
よく、「あの人は父親似」だとか
「私のこの性格は母親譲りなのよ」という言い方をしますが、
みなさんは、ご両親からどんなものを受け継いできましたか?
私にとって、母は、子供の頃から、
明るくておしゃべり好きで、料理上手で、
そして善良で躾に厳しくて世間体を重んずる人でした。
同姓同士ということもあって、共通の話題もあり
私が日本を離れていたときにはよく長電話をして
さまざまなことを共有したものでした。
一方、父は、無口で(必要なことも話さない!)
真面目で、曲がったことが大嫌いで
散歩と夕食後の読書と果物が大好きな、
そして母に言わせると娘に甘い父親でした。
どちらかというと、母とのほうが
気軽に話ができることもあって
父よりは母とのほうがお互いに
分かり合えているように思っていたのですが
先日私の旦那さんから、思いがけない話を聞きました。
昨年、両親が私の家に数日滞在したとき
たまたま私が不在で、両親と旦那さんとの3人で
いたときのことです。
私の性格に関する話題をしていたらしいのですが
そのときに母がいつもの口調で
「どうせあの子はまた○○したに違いんだから。」
と決して本気ではないのでしょうが
軽く私のことを非難するような言い方をしたらしいのです。
すると、父が
「おまえはどうして自分の娘のことをそんなふうに言うんだ?
自分の娘のことを信じられないのか?!」
と、娘の夫が目の前にいることも構わずに
本気で抗議したそうです。
そして旦那さんは、
父が心の底からそう言っていることを感じたそうです。
このエピソードを聞いて
私は生まれてから今日まで、ただの一度も
父から私の性格や人格、ましてや行為に関して
非難されたことがないことに気がつきました。
私も決して親孝行な娘ではなかったために、
何度か「こういうことは気をつけたほうがいいと思う」
というような注意を受けることはありましたが
いわゆる感情的になって頭ごなしに
「どうしておまえはだめなんだ!?」と
いうようないわれのない言い方をされたことは
たったの一度もありませんでした。
旦那さんに
「それは、お父さんが心の底から
娘である君のことを信じているからだ」
と言われたときに
なんともいえない誇らしい気持ちになり、
同時にそんな父のことを心から尊敬する
気持ちが沸いてきました。
そして、次にこんな問いかけが
心の中に生まれてきました。
”私はこの父のようであるだろうか?”
”理屈ぬきに、心の底から大切な人を
信じているだろうか?”
答えは、正直言ってとても難しい。
でも、この父の特性を娘である私が
受け継いでいると信じたい。
受け継いでいると心の底から信じられることが
彼の娘であることの証になるのかもしれません。
皆さんも、ご両親から既に受け継いでいるもの、
どんな素晴らしいものであるか、
そこに想いを馳せてみませんか?
2011年03月31日
五感全開
こんにちは。一週間ぶりのFumikoです。
今週のテーマは「春」です。
私は2年前から三毛猫と茶トラの2匹の猫と
暮らしているのですが
そのうち茶トラの猫の名前がなんと“はる”といいます。
猫には人間みたく戸籍謄本のようなものはないので
シンプルに平仮名の“はる”にしましたが、
実は「春」を待ち望んでいた冬の時期に我が家へやってきたので
この名がつきました。
春夏秋冬、それぞれの良さがありますが
6年前からここ鎌倉に住むようになってから
私にとって一番好きなのは断然この「春」になりました。
いったい春の何が私を夢中にさせるのだろう?
と考えたときに最初に浮かんだのは
春の“匂い”でした。
土の匂いをはじめ、若葉の匂い、
そして甘く芳しい花の匂いなどが
どこかから風に運ばれてくると、
思わず思い切り深呼吸をしたくなります。
そして、冬の刺すような透明でまっすぐな光から
もっと柔らかく包み込むような光を感じたときは
それを丸ごと受け止めるために
一瞬目を閉じたくなります。
他にも、麗しい鳥の鳴き声や、
頬を通り抜けていく風をはじめ、ありとあらゆるものが
私の五感を刺激してくれます。
そうです。
この五感を刺激されることで、
「ああ、自分はこの大地に生きているんだなあ」という実感を
全身で感じることができるのが春の醍醐味です。
我が家の“はる”も毎日ベランダに出ては、
全身で春を受け止めるべく、
チューリップの匂いを嗅いだり、
伸びをしたり、日向ぼっこをしています。
みなさんも、五感を開いて、春を全身で満喫しませんか?
2011年03月25日
別の人の人生を生きる
おはようございます。Fumikoです。
今週のテーマは「子供の頃なりたかったもの」。
それはずばり“女優”でした!
まだ小さい頃、テレビで当時人気絶頂だった歌手・山口百恵の
「赤いシリーズ」というドラマが放映されていて
現在のご主人である俳優・三浦友和と共に、出演していました。
内容は、本当は実の兄と妹でありながら
生まれたときに病院の手違いで他の赤ちゃんとすり違えられ(!)
全く他人として今日まで生きてきた後に知り合い
お互い愛し合うようになる。。。
という不幸を絵に描いたような波乱万丈のものばかりで
今ならこんなこと絶対ありえない!?といういかにも
作りものばかりの内容だったのですが(笑)
当時の私は、山口百恵演じる、少女の迫真の演技にのめりこみ、
まるで自分自身が、ショックを受けたり、泣いたりしているような
疑似体験をしながら毎週のようにその番組を観ていたものです。
そして、少しずつ大きくなるにつれて
「女優」という職業があるのだと
いうことがぼんやりとわかってきたときに
自分も女優になりたいなあと思ったことを
良く覚えています。
それは、自分以外の人になりきって、
別の人の人生を生ききることに対する憧れだったような気がします。
自分の人生では、到底起こりえないこと
普通なら出会わないような類の人たちとの出会い
自分自身では、絶対に言えない言葉を口にする...など
他人という“衣”を着ることによって
あらゆることが可能になる...
そんなふうに
感じていたのかもしれません。
これって自分自身の境界を自ら拡げていくことに
他ならないんだなあと、ここまで書いてきて気がつきました。
「女優」にならなくても、別の人にならなくても
自分ができないと思っていた世界を拡げること
NLPならできるかもしれません。
それは既に、あなたの中に存在しているからです。
それではまた来週!
2011年03月17日
自分自身をいたわってあげて
こんにちは。Fumikoです。
今回の地震が起きてから、ちょうど今日で一週間を迎えました。
それぞれの地域において、被害を受けられた皆さまには
心からお見舞いを申し上げます。
一週間が経過して
震災直後のパニック状態はなくなった反面、
深刻さが長期化してきており、生活のあらゆる面において、
多かれ少なかれ不便さを強いられている毎日の中で
多くの方が、疲労感を抱えているのではないでしょうか。
私自身もこの数日
なんともいえない身体の重さと、倦怠感を感じ
毎晩、子供のように早い時間に就寝していました。
そして、同時に自分が普段から使っている布団の中に
身を横たえられる幸せをしみじみと感じています。
布団に限らず、
自宅で食べられるご飯の美味しさ
一杯の暖かいお茶、そしてお湯を使って
温かいお風呂に入れることなど
これまで当たり前に思ってきたことのありがたさを
心から感じています。
私たちを支えてくれているものというのは、
本当にこういう小さな何でもないものの中にも
沢山あるのだと改めて気づかされます。
自分自身の心の状態、身体の状態に意識を向け
もし、少しでも普段と違うなと感じたら
まずは深く息を吐いてみましょう。
そして、できたら目を閉じて、1分間でいいので
ゆっくりと自分の呼吸だけに意識を向けてみてください。
まずは自分自身をいたわる気持ちを忘れずに。
2011年03月11日
私はわたし。
皆さん、こんにちは。Fumikoです。
今週のテーマは「自由」。
私は現在、鎌倉にある、知的障害者の施設で
対人支援の仕事をしています。
そこには、約70名ほどの人たちがいるのですが
一言も言葉を話せない人もいれば、
トイレの訴えをすることができない人、
言葉は話せても、現実と妄想がごっちゃになっている人、
加えて身体障害もある人など本当にさまざまな人たちがいます。
そんな中、私が担当しているクラスの中で
20代の全盲の女の子がいます。
知的障害に加えて全盲のため
着ること、食べること、トイレ、お風呂など
生活全てにおいて介護が必要です。
そんな彼女の毎日着てくるお洋服が
とても可愛らしいものばかりで、
綺麗なクリーム色のタートルネックセーターや
鮮やかな紫色のジャンパー、
そして下着まで、花柄や水玉のプリントがついていて、
本当に可愛らしいものばかりなのです。
おそらくお母さまの愛情なのでしょう。
でも、本人はそれらがどんなものかを見ることはできません。
毎日、親が与えたものを来ているだけです。
でも、その彼女を見ていると、
何を着るかを自分で選ぶことはできないけれど
何を着るかということに全く左右されない、
「私はわたし」という非言語のメッセージを
いつも感じるのです。
私たちは、ともすると、目が見えないという
“不自由さ”だけに意識が向きがちですが
そのことが逆説的にもたらしてくれているもの、
つまり、着るものへの「執着心」から全く解放された
ある意味『自由』な状態を得ているということを
彼女は教えてくれました。
普段、私たちは着るものに限らず、多くのものことに対して
「自分らしさ」や「こだわり」などを大切にしていて、
自分で選ぶという選択肢、つまり『自由』があるわけですが
時どきは、彼女を見習って、この恵まれた環境に感謝をしつつ
意識の中だけでもそれらを一度、手放して
“素”の状態になってみたいと思う今日この頃です。
「私はわたし。」
何を着るか、何を持っているか、何をするか、
などに全く関係なく
「私はわたし。」
2011年03月03日
風になりたい
皆さん、こんにちは。Fumikoです。
早いもので3月に入り
確実にあちこちに春の兆しが感じられるようになりました。
今週のテーマは“風”ですね。
私は毎朝起きると、必ずベランダの扉を開けるのですが
室内から外へ出た途端、頬にすーっと風が当たる
その感触が大好きです。
何か、大きな外の世界とつながる瞬間なのかもしれません。
そして
風が運んでくれる季節の花の香りや、土の匂いを嗅ぎながら
外の世界に自分が溶け込んでいくような
馴染んでいく感覚がとても好きです。
目に見えないのに
確かにそこに存在している不思議な“風”。
風が通り過ぎていくあちこちで、人間だけに限らず
動植物や、小石に至るまであらゆるものが
何か目に見えないものを受け取り、感じていく。
それは愛かもしれないし、希望というものかもしれない。
私も風のようになりたい。
「自分を風に変えてみせた少年」のことをふと思い出しました。
私の大好きな本のひとつ『アルケミスト』です。
もしまだ読んでいない方がいらっしゃったら
是非読んでみて下さい。
2011年02月25日
見える?見えない?
皆さん、こんにちは。Fumikoです。
今日はすっかり春めいた陽気になりましたが
いかがお過ごしですか。
私にこれまで影響を与えた「尊敬する人」たちの中で
今回は小学校の担任の先生のエピソードを
ご紹介したいと思います。
私が通っていた小学校は
北海道の釧路市内でも桜ヶ丘という
街中から少し離れた小高い丘の上にあったのですが
同時に海の近くでもあり、子供の足でも歩いて15分ほどの距離に
広大な太平洋が拡がっており、教室の窓からも海を眺める
ことができました。
担任の本間先生は自由闊達で温かく、
ユーモアがあり、スキーが得意で
いつも私たち子供の目線で物事を捉えてくれる人でした。
それでいて決して私たちを子供扱いせず
大人として対等に扱ってくれていました。
お天気が良いと、午後の授業をつぶして、
突然、全員で海へ行こう、ということになり
海での課外実習(?)に早代わりすることも
しょっちゅうでした。
海岸の砂の上を素足で歩きながら
「波ってどうして起こるんだろうね?」とか
大人でもすぐに答えられないような問いを私たちに投げかけ
答えを見つけることそのものよりも
そういう自分たちを取り巻く世界に
純粋な好奇心を持つことができるような
いわゆる「生きた学習」の場を常に与えてくれていました。
そして今でも忘れられない、ある晴れた日の午後、
私たちは教室の中で何かの授業を受けていました。
突然、先生が立ち上がって、窓のほうへ歩み寄り
こう言ったのです。
「アメリカ大陸がみえるぞ!!」
「えーっほんとう???」
私たち生徒は、びっくりして慌てて立ち上がり
机の角や椅子に足をぶつけながらも
窓ににじり寄りました。
そして海の彼方に拡がる水平線をじーっと見つめ
どこにその「アメリカ大陸」があるのかを
必死で探しはじめました。
「どこ?どこ?見えないよー」
ずっと水平線を目で追っていると、目がおかしくなってきて
そのうちに海なのか、雲なのか、目のゴミなのか
なんなのかわからなくなってくるのです。
すると突然誰かが
「あっ!見えたー!」と叫んだのです。
「えーっ?どれどれ?見えないよー!」
「あっあれじゃない?」
もう、教室中が大騒ぎになりました。
ところがそんな騒ぎの中
たった一人の男の子だけが椅子に座ったままでした。
「ふん。そんなもん見えるわけがないよ!」
そんなことで大騒ぎして馬鹿馬鹿しい、
というように彼は窓に近寄って見ようとも
しなかったのです。
騒ぎが一段落したあとに、先生は静かにこう言いました。
「本当に見えるかどうかが重要なんじゃない。
見えるかもしれないという想いを持って、
見ようとする心が大切なんだよ。」
教室中がシーンとしました。
小学生の自分たちでも、何かとても大切なことを
先生が伝えてくれようとしているのを
感じました。
あれから何十年も経った今でも、このことを時々思い出します。
そして、これまでのさまざまな局面で
自分がとってきた選択や振る舞いが、この言葉に
支えられていたことを実感しています。
あなたを今日まで支えてくれた人たち、
どんな影響を与えてくれたのでしょうか?
それではまた来週お会いしましょう。
2011年02月18日
言葉の持つ力って本当に凄い!
皆さん、こんにちは。
NLPトレーナーアソシエイトのFumikoです。
今日は私にとっての「忘れられない言葉」をお伝えしたいと思います。
私は生まれたときからアトピー性皮膚炎を患っていました。
今でこそ、誰もが知っているアトピー性皮膚炎という名前ですが
当時はまだほとんど知られていなく
周りにも、自分と似たような症状の子供たちもいなく
自分は何か「特別な皮膚」を持って生まれてきたのだ
という思いがありました。
小さい頃から病院通いをして、塗り薬を塗ったり
ひどい時には飲み薬も飲みましたが
症状は一進一退で、一向に良くなりませんでした。
とくに私の場合は
木綿以外の下着は着れない
雑草の樹液を触っただけで手がかぶれてしまう
イカやなど特定の食材を触ると痒くなる、
プールには入れないし、海にも行けない、など
生きていく上でそれはもう沢山の“制限”がありました。
おまけに
見た目にも顔や首、手足などに湿疹があるため
多感な10代の女の子にとっては精神的にかなり
キツイ時期もありました。
でも、おかしなもので、生まれたときからその状態しか知らないので
「どこも痒くなく、湿疹のない綺麗な肌を持っている」ということが
どういうことなのかわからないのです。
おまけに『痛み』を伴う病気に比べて
『痒み』というのはとても軽視されるものらしく
「でも、痒いだけなんでしょ?」と
まるで痛くないんだから、別にいいでしょう?というような
言い方をされることが多々ありました。
そして20代前半の頃、職場の同僚から
ある皮膚科のお医者さんを紹介されました。
なんでも、その方のお子さんもアトピー性皮膚炎を
患っていたそうなのですが、そのお医者さまのところに
通ってから治ったというのです。
私は、期待半分、そして正直なところ「どこも同じだろう」という
あきらめ半分の気持ちでそのお医者さんを訪ねました。
ところが、その先生に初めてあったときに
「何かが違う」
と感じました。
先生の私に対する接し方が、
何かこれまでのお医者さんと根本的に違うのです。
まず、先生は優しい眼差しを持って私にこう言いました。
「あなたはずっと湿疹がある状態が長くて
これが普通と思っているかもしれないけれど
これからは湿疹がでたら、普通の状態ではないと思って
すぐにこの薬を塗って処置してくださいね」
ちょっと変わった先生だなと思いました。
そしてもうひとつ、何が変わっているかと言うと
診察の時に、先生は私の皮膚だけではなく
私自身を見ているのです。
つまり、私の疾患の部位ではなく
湿疹という症状を患っている私という
ひとりの人間を見てくれているのが感じられるのです。
そして
「こんなに湿疹が出ていたら、とても辛いね。」
というように私の気持ちを推し測って共有してくれることも
たびたびありました。
おかしなことに、それからその先生のところへ通うことを
とても楽しみにしている自分に気がつきました。
通うごとに、自分の中の何かが少しずつ変化していくような気がして
それに伴って皮膚の状態も良くなっていくのが感じられました。
そして、忘れもしないあの日
いつものように診察室で胸や背中の状態を診てくれたあと
先生は私の背中をパンと叩いてこう言ったのです。
「もうこれならボーイフレンドに見せられるね!」
あのときのちょっと恥ずかしいような、でもなんとも言えない
誇らしいような嬉しい不思議な感覚を今でも忘れることはできません。
私は、先生から
「あなたは誰に見せても恥ずかしくない
綺麗な肌をもった魅力ある女性ですよ」
と言われたことに気がついたのです。
あのとき初めて、
自分自身の存在をまるごと認めてもらったような感じがしました。
先生は、皮膚の治療という行為を通じて
私自身がこれまで失いかけていた自信を取り戻してくれ
自分で思いもしなかった新しいアイデンテティを持たせてくれたのです。
そして、私の皮膚が良くなっていったのは
医学的にはもちろん薬の力も借りましたが
本当に治るかもしれないという、私自身の
内側から生まれてきた自己治癒力に他ならないことを
身を持って知りました。
言葉のもつ力、本当に凄いと思います。
あなたにとって『忘れられない言葉』これまで
どんなものがありましたか?
2011年02月03日
あなたのボタンはいつ押しますか
皆さん、こんにちは。Fumikoです。
今日は私がNLPを学ぶことになった
「きっかけ」についてお話したいと思います。
香港に移り住んで7年を過ぎた頃から
自分の中にひとつの問いが生まれてきました。
「いつまで私はここにいるのだろう?」
「これから一生何をして生きていきたいんだろう?」
これまでにテレビ局の仕事から始まって
化粧品の輸出入や、いくつかの日中貿易の架け橋として
営業や通訳などさまざまな仕事を経験してきましたが
自分の中ではいつも
「何かが違う」
という気持ちがありました。
それぞれの仕事においてはいつも
情熱をもってかかわってきたつもりですが
途中から「これじゃない」という声が
内側から聞こえてきていました。
限られた人生の中で、これから
自分が本当に何にエネルギーを向けていきたいのか
常に自問自答していました。
そんな中で、あることに気がついたのです。
友人や知人と会話をしているときに
自分の口から出た言葉であるにもかかわらず
何かこう、天から言葉が自分に降りてきたような
感覚がすることがたまにあるのを感じたのです。
自分という”存在”を通して
その言葉は語られているのですが
それはもっとどこか別の遠いところからやってきて
私という人間を「媒介」にして、相手に届けられているような
そんな不思議な感覚でした。
そして、そういう感覚があるときには、きまって
相手は私の発した言葉に非常な驚きを持って反応したり
本人がこれまで気づかなかった自分自身を見出して
新しい可能性に目覚めたり
さらにはこれまで見失っていた自信を深めたりする
ことにも気がつきました。
そして、私は目の前の相手が
ほんのわずかな時間の間に変化していくのを見て
不思議なことに自分自身も満たされて
幸せな気持ちになることに気づきました。
こんなふうにいつも人とかかわることができたら。。。
人そのものにかかわる仕事がしたい。。。
何かモノを制作したり売ったりするのではなく
人が、自分がかかわることで、より輝いて
これまで以上に生き生きと満たされて
これからの人生を歩いてくれるような
そんな仕事がしたいと強く思いました。
そして自分はカウンセラーになろうと思いました。
当時はNLPという言葉さえ知らなかったので
カウンセラーということしか思い浮かばなかったのです。
そしてどうしたらカウンセラーになれるのだろうと
いろいろ紐解いていきました。
人の心を扱う専門家だから、大学に入り直して心理学を
学ばなければいけないだろう。。。
そんな思いで調べていったのですが
調べれば調べるほど、
カウンセラーになるには何年もかけて高学位を
取得することが必須であり
加えて治療の究極は「薬物の投与」に他ならないことが
わかったのです。
「何かが違う」
またいつもの声が聞こえてきました。
「私がやりたいのはこれじゃない」
私は、マイナスの人をゼロに戻すのではなく
プラスの人をさらにプラスにしたい、と思ったのです。
つまり、自分自身をも含めて、
普通に仕事も持っていて家族や友人や恋人もいて、
一見何不自由なく生きているように見えるけれども
心の中ではいろんな葛藤があったり、
人間関係が上手くいっていなかったり、
本当はもっといろんな可能性に挑戦したいけれど、
どこか自分に自信がなくて、
本来の力を発揮しきれていないような人たちに対して
その人たちが、もっともっとその人らしさに気づいて
最高に輝けるようなかかわりがしたいんだと思いました。
そして
自分の求めていたものがNLPの中にありました。
その後、日本に帰国したあとも、
自分が理想とする形で人にかかわれるには
どうしたらいいんだろうと、
心理学に関する情報をインターネットで見ていたのですが
そこで偶然NLPという名前を見つけたのです。
内容を読んでもよくわからなかったのですが、
なんとなくもっと知りたいと思い、
資料請求のクリックボタンを押しました。
そしてこのクリックボタンを押したことが、
本当にNLPを学び始めるきっかけとなりました。
さあ、皆さんは、あなたのボタンをいつ押しますか?
それが、ものごとの新しい始まりになるということは、
その瞬間にはわからないかもしれません。
でも、押してみて、初めてわかることもあるのです。
ずっと気になっていることがもしあれば
是非、そのボタンを押してみて下さいね。
『失敗はありません。あるのは結果だけ』です。
今日は私がNLPを学ぶことになった
「きっかけ」についてお話したいと思います。
香港に移り住んで7年を過ぎた頃から
自分の中にひとつの問いが生まれてきました。
「いつまで私はここにいるのだろう?」
「これから一生何をして生きていきたいんだろう?」
これまでにテレビ局の仕事から始まって
化粧品の輸出入や、いくつかの日中貿易の架け橋として
営業や通訳などさまざまな仕事を経験してきましたが
自分の中ではいつも
「何かが違う」
という気持ちがありました。
それぞれの仕事においてはいつも
情熱をもってかかわってきたつもりですが
途中から「これじゃない」という声が
内側から聞こえてきていました。
限られた人生の中で、これから
自分が本当に何にエネルギーを向けていきたいのか
常に自問自答していました。
そんな中で、あることに気がついたのです。
友人や知人と会話をしているときに
自分の口から出た言葉であるにもかかわらず
何かこう、天から言葉が自分に降りてきたような
感覚がすることがたまにあるのを感じたのです。
自分という”存在”を通して
その言葉は語られているのですが
それはもっとどこか別の遠いところからやってきて
私という人間を「媒介」にして、相手に届けられているような
そんな不思議な感覚でした。
そして、そういう感覚があるときには、きまって
相手は私の発した言葉に非常な驚きを持って反応したり
本人がこれまで気づかなかった自分自身を見出して
新しい可能性に目覚めたり
さらにはこれまで見失っていた自信を深めたりする
ことにも気がつきました。
そして、私は目の前の相手が
ほんのわずかな時間の間に変化していくのを見て
不思議なことに自分自身も満たされて
幸せな気持ちになることに気づきました。
こんなふうにいつも人とかかわることができたら。。。
人そのものにかかわる仕事がしたい。。。
何かモノを制作したり売ったりするのではなく
人が、自分がかかわることで、より輝いて
これまで以上に生き生きと満たされて
これからの人生を歩いてくれるような
そんな仕事がしたいと強く思いました。
そして自分はカウンセラーになろうと思いました。
当時はNLPという言葉さえ知らなかったので
カウンセラーということしか思い浮かばなかったのです。
そしてどうしたらカウンセラーになれるのだろうと
いろいろ紐解いていきました。
人の心を扱う専門家だから、大学に入り直して心理学を
学ばなければいけないだろう。。。
そんな思いで調べていったのですが
調べれば調べるほど、
カウンセラーになるには何年もかけて高学位を
取得することが必須であり
加えて治療の究極は「薬物の投与」に他ならないことが
わかったのです。
「何かが違う」
またいつもの声が聞こえてきました。
「私がやりたいのはこれじゃない」
私は、マイナスの人をゼロに戻すのではなく
プラスの人をさらにプラスにしたい、と思ったのです。
つまり、自分自身をも含めて、
普通に仕事も持っていて家族や友人や恋人もいて、
一見何不自由なく生きているように見えるけれども
心の中ではいろんな葛藤があったり、
人間関係が上手くいっていなかったり、
本当はもっといろんな可能性に挑戦したいけれど、
どこか自分に自信がなくて、
本来の力を発揮しきれていないような人たちに対して
その人たちが、もっともっとその人らしさに気づいて
最高に輝けるようなかかわりがしたいんだと思いました。
そして
自分の求めていたものがNLPの中にありました。
その後、日本に帰国したあとも、
自分が理想とする形で人にかかわれるには
どうしたらいいんだろうと、
心理学に関する情報をインターネットで見ていたのですが
そこで偶然NLPという名前を見つけたのです。
内容を読んでもよくわからなかったのですが、
なんとなくもっと知りたいと思い、
資料請求のクリックボタンを押しました。
そしてこのクリックボタンを押したことが、
本当にNLPを学び始めるきっかけとなりました。
さあ、皆さんは、あなたのボタンをいつ押しますか?
それが、ものごとの新しい始まりになるということは、
その瞬間にはわからないかもしれません。
でも、押してみて、初めてわかることもあるのです。
ずっと気になっていることがもしあれば
是非、そのボタンを押してみて下さいね。
『失敗はありません。あるのは結果だけ』です。
2011年01月27日
298円の一歩
皆さん、こんにちは。
Fumikoです。
毎日寒い日が続いていますが、私の住む鎌倉では
あちこちに水仙の花が咲き乱れています。
私の自宅のベランダには数年前からいくつもの鉢植えが置いてありますが
実は一番最初に買った鉢植えが、それはもう本当に小さな可愛らしい水仙でした。
6年くらい前から知人の薦めもあって、自宅に百合やカーネーションなどの
生花は置くようになっていたのですが、そのうちに、切花だけではなく
土にお花を植えて育ててみたいという気持ちがふつふつと沸いてきました。
でも、いったい何のお花を買えばいいのだろうか?
どんなふうに世話をすればいいんだろう。。。?
何を揃えればいいんだろう。。。
そしてもしも枯らしてしまったらどうしよう?
というありとあらゆる“でも・・・・”という言葉が頭の中に浮かんできて
なかなか実行に移すことができませんでした。
そして今から思うと、ちょうど4年くらい前の2月頃でした。
自宅近くのホームセンターの園芸コーナーの前を通ったときに
チューリップやパンジー、水仙やビオラなど色とりどりの美しい
お花の鉢植えが沢山置いてありました。
その中でも、黄色と白の可憐なミニ水仙の鉢植えがひときわ私の目を引きました。
買いたいな。心の中の声はそう言っていました。
「でも。。。」
とまた"でも"の言葉が頭をよぎり、その売り場を30分近くもうろうろしていました。
そして、ついに今日買わなくてもいいから
ちょっと、売り場の人に聞くだけ聞いてみようと思い
勇気を振り絞って近くにいた園芸担当のおばさんに
「あのう、鉢植えを育てたことないんですが、初心者でもできるでしょうか?」
と声をかけました。
その方は、とても親切なおばさんで
まるで幼稚園児のような子供っぽい私の質問に対して
何を買えばいいのか、どのように世話をすればいいのかを丁寧に教えてくれました。
そして、私は人生で初めて、自分自身で鉢植えを買って帰りました。
その鉢植えの値段は、たったの298円でした。
298円の決断をするために私は30分以上の時間を費やしていたのです。
このミニ水仙がきっかけとなって
それから自宅のベランダには季節ごとに次々と新しいお花が増えるようになり
今では私にとってかけがえのない「家族」の一部になっています。
最初の一歩って本当に勇気が要りますね。
でも、その本当に小さな一歩が、大きな変化への扉になるのだということを
実感しました。
また何か新しいことに対して勇気を必要とするときに
ミニ水仙のことを思い出して
みようかなと思います。
Fumikoです。
毎日寒い日が続いていますが、私の住む鎌倉では
あちこちに水仙の花が咲き乱れています。
私の自宅のベランダには数年前からいくつもの鉢植えが置いてありますが
実は一番最初に買った鉢植えが、それはもう本当に小さな可愛らしい水仙でした。
6年くらい前から知人の薦めもあって、自宅に百合やカーネーションなどの
生花は置くようになっていたのですが、そのうちに、切花だけではなく
土にお花を植えて育ててみたいという気持ちがふつふつと沸いてきました。
でも、いったい何のお花を買えばいいのだろうか?
どんなふうに世話をすればいいんだろう。。。?
何を揃えればいいんだろう。。。
そしてもしも枯らしてしまったらどうしよう?
というありとあらゆる“でも・・・・”という言葉が頭の中に浮かんできて
なかなか実行に移すことができませんでした。
そして今から思うと、ちょうど4年くらい前の2月頃でした。
自宅近くのホームセンターの園芸コーナーの前を通ったときに
チューリップやパンジー、水仙やビオラなど色とりどりの美しい
お花の鉢植えが沢山置いてありました。
その中でも、黄色と白の可憐なミニ水仙の鉢植えがひときわ私の目を引きました。
買いたいな。心の中の声はそう言っていました。
「でも。。。」
とまた"でも"の言葉が頭をよぎり、その売り場を30分近くもうろうろしていました。
そして、ついに今日買わなくてもいいから
ちょっと、売り場の人に聞くだけ聞いてみようと思い
勇気を振り絞って近くにいた園芸担当のおばさんに
「あのう、鉢植えを育てたことないんですが、初心者でもできるでしょうか?」
と声をかけました。
その方は、とても親切なおばさんで
まるで幼稚園児のような子供っぽい私の質問に対して
何を買えばいいのか、どのように世話をすればいいのかを丁寧に教えてくれました。
そして、私は人生で初めて、自分自身で鉢植えを買って帰りました。
その鉢植えの値段は、たったの298円でした。
298円の決断をするために私は30分以上の時間を費やしていたのです。
このミニ水仙がきっかけとなって
それから自宅のベランダには季節ごとに次々と新しいお花が増えるようになり
今では私にとってかけがえのない「家族」の一部になっています。
最初の一歩って本当に勇気が要りますね。
でも、その本当に小さな一歩が、大きな変化への扉になるのだということを
実感しました。
また何か新しいことに対して勇気を必要とするときに
ミニ水仙のことを思い出して
みようかなと思います。
2011年01月20日
皆さん初めまして。トレーナーアソシエイトのfumikoです。
初めまして。
皆さんお待ちかねの(?)3人目のメンバーである
fumikoこと鈴木文子です。
NLPフィールドではNLPトレーナーアソシエイトとして
ワークショップのサポートや体験会、ショートセミナーなどを
担当しています。
仲間のメンバーのひじままさきさんとは対照的に
私はごく普通の平凡な名前を授かったにも関わらず
これまでの道のりは平凡とはいい難い
かなり紆余曲折したものだったような気がします。
人生の最初の大きな転機は
高校時代に人生を賭けた大恋愛をするも
22歳で破局したことから始まりました。
それまで6年間いつも一緒だった相手と別れて
ひとりになってしまった私は
そこで初めて、自分自身と向かい合うことになります。
自分はいったい何者なんだろう?
これから人生をどう生きていきたいんだろう?
という大きなテーマを抱えながら模索する日々が始まりました。
自分探しの数年間は今思い起こしてもとても苦しいものでした。
そしてそんな中次の大きな転機が訪れます。
転職をきっかけに突然香港へ渡ることになったのです。
言葉もわからず、習慣も文化も違う外国
おまけに誰も知り合いがいないという環境の中、
それこそ海に放り込まれたカナヅチの人間がなんとか必死で
水の上に浮かぼうとするかのように無我夢中で仕事を覚え、
さまざまな国籍の人と全身を通じてコミュニケーションを
とってきたような気がします。
そんな中、さまざまな経験を経る中で
自分が本当にやりたいことは
人の可能性を開いていくことだと気づきました。
そして7年前、人生の伴侶と出会う大転機を迎えて日本に帰国し
NLPと出会いました。
NLPの学びを通じて気づいたことは
私はそれまで、
”常に何者かになろうとしてきた”
ということです。
いつも自分には何かが足りないように感じて
今の自分以外のものになる必要があると思っていました。
でも、そうじゃない。
この瞬間生きている、
ありのままの自分自身が全てだってことに
気がつきました。
人は、職業や、地位や、何を成し遂げたか、ましてやお金の有無で
その存在価値が決まるのではありません。
この世に生を受けたあなたという人が、この世界に存在していること
そのものに大きな意味と価値があるのです。
だってこの世界であなたという存在はたった一人なのですから。
自分自身の価値に是非気づいて下さい。
NLPとの出会いが
あなたがありのままの自分を受け容れられるきっかけに
なることを心から祈っています。
そして、これから多くの皆さんとお会いできること
楽しみにしています!
皆さんお待ちかねの(?)3人目のメンバーである
fumikoこと鈴木文子です。
NLPフィールドではNLPトレーナーアソシエイトとして
ワークショップのサポートや体験会、ショートセミナーなどを
担当しています。
仲間のメンバーのひじままさきさんとは対照的に
私はごく普通の平凡な名前を授かったにも関わらず
これまでの道のりは平凡とはいい難い
かなり紆余曲折したものだったような気がします。
人生の最初の大きな転機は
高校時代に人生を賭けた大恋愛をするも
22歳で破局したことから始まりました。
それまで6年間いつも一緒だった相手と別れて
ひとりになってしまった私は
そこで初めて、自分自身と向かい合うことになります。
自分はいったい何者なんだろう?
これから人生をどう生きていきたいんだろう?
という大きなテーマを抱えながら模索する日々が始まりました。
自分探しの数年間は今思い起こしてもとても苦しいものでした。
そしてそんな中次の大きな転機が訪れます。
転職をきっかけに突然香港へ渡ることになったのです。
言葉もわからず、習慣も文化も違う外国
おまけに誰も知り合いがいないという環境の中、
それこそ海に放り込まれたカナヅチの人間がなんとか必死で
水の上に浮かぼうとするかのように無我夢中で仕事を覚え、
さまざまな国籍の人と全身を通じてコミュニケーションを
とってきたような気がします。
そんな中、さまざまな経験を経る中で
自分が本当にやりたいことは
人の可能性を開いていくことだと気づきました。
そして7年前、人生の伴侶と出会う大転機を迎えて日本に帰国し
NLPと出会いました。
NLPの学びを通じて気づいたことは
私はそれまで、
”常に何者かになろうとしてきた”
ということです。
いつも自分には何かが足りないように感じて
今の自分以外のものになる必要があると思っていました。
でも、そうじゃない。
この瞬間生きている、
ありのままの自分自身が全てだってことに
気がつきました。
人は、職業や、地位や、何を成し遂げたか、ましてやお金の有無で
その存在価値が決まるのではありません。
この世に生を受けたあなたという人が、この世界に存在していること
そのものに大きな意味と価値があるのです。
だってこの世界であなたという存在はたった一人なのですから。
自分自身の価値に是非気づいて下さい。
NLPとの出会いが
あなたがありのままの自分を受け容れられるきっかけに
なることを心から祈っています。
そして、これから多くの皆さんとお会いできること
楽しみにしています!