おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
いよいよ4月が始まりました。
月日が経つのは早いもの。
しかし、時間は私たちの生き方に関わらず
ずっと流れていっているものですね。
私たちは、昔の人から何かを受け取り
そして、次に生まれる人や育っていく人に
何かを渡していく。
4月になると新入社員研修が始まりますが、
同僚がとても素晴らしい話をしてくれました。
「君たちは、これから取引先や友人などに
名刺を渡したときに
会社の説明をしなくても相手が理解してくれる
企業に入りました。
もちろん、君たちの素晴らしさもありますが、
それ以上に少し想いをはせて欲しいのです。
会社の説明をしなくても良いような状況を
誰が作ってきてくれたのかを。。
それは、君たちの先輩が一つ一つここで働きながら
作ってきてくれたものです。
君たちは、それを無料で使うことができるのです。
そして、君たちは同じチームに入りました。
これから君たちのあとにも新人たちが入ってくること
でしょう。
君たちにも、先輩たちと同じように
この会社の素晴らしさをこれから築いていって欲しいのです。
君たちが、受け継いでもらえたように
その素晴らしさを君たちの力で積み重ねて
さらに後輩たちに受け継いでいって欲しいのです。」
これは、会社だけに限りません。
私もNLPのトレーナーをしていますが、
このNLPも創始者がいて、
そしてNLPを豊かにしてきた方々の
功績があります。
私たちはそれを受け継いでいます。
NLPを伝える一員になるということは、ある意味では、
その歴史の流れに参加し、未来を築いていくことになるのです。
そこには、私たちが受け継いだものに対する敬意と
そして、それを尊重し発展させていく強い想いが生まれてきます。
日本では、NLPもいろいろな受け止め方がされています。
そこに関わる一員としては
NLPが日本の人々の中に浸透し、日常を豊かにするものとして
認識され活用されていくこと
そして、それを超えて、
それぞれの人が受け継ぎ、渡していくものを
昇華し、発展させていくことにNLPを活用して欲しいと
願っています。
なぜなら、私たちは生きる中で
出会った出来事や人々から、有形無形のギフトをもらっています。
そして、その人の中で折り重なった独自のキルトを編みこんで作っています。
それをこの世界に表現しなければ
それは、この世界に恩恵としてもたらされないからです。
私たちの責任は、シンプルに言えば
受け継ぎ、自分の中で編みこんだ世界を
この現実の中に誠実にありのままに表現していくことだけだと想います。
NLPフィールドでは
そのためにも、自分を受け入れることで、自分の世界を認めて欲しいですし
その世界をその人のフィールドとして展開して欲しいのです。
また、他の人のフィールドを受け入れ、そして自分と人のフィールドを
融合することでクリエイティブでジェネレイティブな世界を
作り出して欲しいと願っています。
今週のテーマは「受け継がれるもの、受け継いでいくもの」でしたが
もうそれはあなたの中にあるものです。
表現されることを待ち望んでいるのです。
ぜひ、NLPフィールドでその世界を展開させてください。
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2011年04月05日
2011年03月29日
無駄なものをそぎ落としたからこそ・・・
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
関東ではちらほらと
桜が見え始め、春の訪れを感じています。
まだ、東北の被災地の皆様のところは
雪が降ったり、寒い日々が続いているようですが
一日も早く春が訪れ、
環境からも心が柔らかくなることを願っています。
今週は、「春」をテーマにお届けしています。
あなたは、「春」をどのように感じますか?
街を歩いていたり、自然の中を歩いているときに
目に入る花でしょうか?
それとも、鳥たちの鳴き声からでしょうか?
もしくは、温かな日差しや風の感覚でしょうか?
大分前ですが、コーチングを学んでいたときに
自分の好きな季節は何ですか?
という質問がありました。
その時、私と一緒に組んでいた人が答えたのが
「冬」でした。
たいてい、こうしたときは
春夏秋あたりを選ぶことが多いのですが、
その方は「冬」を選んだのです。
私は興味がでてきました。
どうして「冬」が好きなんですか?
その方は、
冬の木が、葉を落とし凛として立っている姿が
大好きだったのです。
いろんなところに魅力があるんだと
私も地図が広がりました。
木は冬になると
葉を落としますが、
太陽の少ない時期は、
自らの命のエネルギーを
余計なところに行かないように
するためだそうです。
一見、枯れた木は死んだように見えて
春になると力強いつぼみをつけて
復活するようにさえ見えます。
しかし、枯れた木は
次の春に向けて
そのエネルギーを貯めているのです。
そして、温かなふれあいがあったとき
そのエネルギーを外に向かって
開いていくのです。
溢れる香りを伴いながら・・・
あなたは、この冬
どんなことをそぎ落として
エネルギーを
貯めていたんでしょうね。
そして、春の風に誘われて
あなたは、この世界に
どんなつぼみを花開かせるんでしょうか?
そして、どんな香りを・・・
春は
あなたの周りに豊かさが訪れてきます。
そして、あなたの内側からも
豊さが溢れてくる季節です。
いつもと違った感覚で
新しい出会いを見つけていってみてはいかがですか?
(株)NLPフィールドの酒井です。
関東ではちらほらと
桜が見え始め、春の訪れを感じています。
まだ、東北の被災地の皆様のところは
雪が降ったり、寒い日々が続いているようですが
一日も早く春が訪れ、
環境からも心が柔らかくなることを願っています。
今週は、「春」をテーマにお届けしています。
あなたは、「春」をどのように感じますか?
街を歩いていたり、自然の中を歩いているときに
目に入る花でしょうか?
それとも、鳥たちの鳴き声からでしょうか?
もしくは、温かな日差しや風の感覚でしょうか?
大分前ですが、コーチングを学んでいたときに
自分の好きな季節は何ですか?
という質問がありました。
その時、私と一緒に組んでいた人が答えたのが
「冬」でした。
たいてい、こうしたときは
春夏秋あたりを選ぶことが多いのですが、
その方は「冬」を選んだのです。
私は興味がでてきました。
どうして「冬」が好きなんですか?
その方は、
冬の木が、葉を落とし凛として立っている姿が
大好きだったのです。
いろんなところに魅力があるんだと
私も地図が広がりました。
木は冬になると
葉を落としますが、
太陽の少ない時期は、
自らの命のエネルギーを
余計なところに行かないように
するためだそうです。
一見、枯れた木は死んだように見えて
春になると力強いつぼみをつけて
復活するようにさえ見えます。
しかし、枯れた木は
次の春に向けて
そのエネルギーを貯めているのです。
そして、温かなふれあいがあったとき
そのエネルギーを外に向かって
開いていくのです。
溢れる香りを伴いながら・・・
あなたは、この冬
どんなことをそぎ落として
エネルギーを
貯めていたんでしょうね。
そして、春の風に誘われて
あなたは、この世界に
どんなつぼみを花開かせるんでしょうか?
そして、どんな香りを・・・
春は
あなたの周りに豊かさが訪れてきます。
そして、あなたの内側からも
豊さが溢れてくる季節です。
いつもと違った感覚で
新しい出会いを見つけていってみてはいかがですか?
2011年03月22日
本物を追求していく姿勢を持ち続ける
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
先日、被災地からおばあちゃんとお孫さんが
救出されました。
1週間経ちましたが、
原子炉もなんとか方向性をみせつつあり、
仮設住宅もたち始めるなど
少しずつですが、復興の機運が伝わってきます。
先ほどのお孫さんが救出された時に
「大人になったら何になりたい?」
と聞かれた時、
彼は、「警察官になりたい」と答えてくれたそうです。
自分が助けてもらった職業を
自分も将来やりたい、
何かバトンが渡されたように感じました。
私たちは、小さい頃になりたいものというものを持っていました。
今週のテーマは、「子供の頃なりたかったもの」です。
小さい頃、あなたはどんな夢を描いていましたか?
どんなことをすることに憧れていたんでしょうか?
そして、それは今の生き方にどんな風に影響しているのでしょうか?
■
私が子供の頃なりたかったものは・・・
月並みですが「野球選手」だったのです。
小さい頃は、神戸に住んでいました。
神戸といえば、阪神タイガースですが、
私の父は、巨人ファンで、私も初めは巨人が好きだったんです。
しかし、だんだんと野球が分かり始めてくると
好きになったのが、当時西宮球場を本拠地にしていた
「阪急ブレーブス」でした。
パリーグは全く人気が無く
オールスター戦の応援では、私は本当に貴重な存在だったと想います。
きっかけは、同じクラスの友人が
阪急友の会だったか、子どもの会だったか
ファンクラブのようなものに入っていました。
その子のお父さんに西宮球場に連れて行ってもらったのが
きっかけです。
また、当時黒い帽子に赤いマークが気に入ったこともありました。
阪急ブレーブスには
とても個性的でいぶし銀の選手が多かったのです。
その中でも
アンダースローの山田久志投手と
盗塁王の福本豊選手が
私のモデリングの対象でした。
王選手が世界のホームラン王として世の中で評価されているのに
世界の盗塁王福本が、そんなに評価を受けていないことが
私としてはとても悔しい限りでした。
話が少しずれますが、
福本選手は、盗塁をすることに命を懸けていて
ピッチャーのビデオを撮っては
けん制のクセがどこにあるかを研究していたそうです。
彼らが私のとてもつもない夢になりました。
それは、
アンダースローのピッチャーで盗塁王になって
甲子園を湧かせよう!
というものでした。
しかし、私が加入した少年野球は、
アンダースローが禁止で、
その上、私が都合で休んだときに
勝手にポジションを決められ、
キャッチャーを任されることになり
私の夢はあえなく変わっていったのでした。
しかし、その夢の根底にあるものは
今も人生で活かされています。
まず、高校から関東に住むことになりましたが
その時には、甲子園に出場していた高校に行くことになりました。
今の講師の仕事も人前に立つ仕事なので
甲子園のマウンドに立つように
ひたむきにやりながら感動を引き起こすことができます。
また、山田久志や福本豊のような
個性ある独特の自分なりのスタイルを仕事の中で発見したい
という想いを常に持っています。
残念ながら、
まだ当時のパリーグのように人気はこれからのようですが、
今では佑ちゃんの加入で、
むしろテレビではパリーグ中心になっているように
NLPフィールドもいつか誰にでも知られる存在になるように
活動を続けていきたいと願っています。
(株)NLPフィールドの酒井です。
先日、被災地からおばあちゃんとお孫さんが
救出されました。
1週間経ちましたが、
原子炉もなんとか方向性をみせつつあり、
仮設住宅もたち始めるなど
少しずつですが、復興の機運が伝わってきます。
先ほどのお孫さんが救出された時に
「大人になったら何になりたい?」
と聞かれた時、
彼は、「警察官になりたい」と答えてくれたそうです。
自分が助けてもらった職業を
自分も将来やりたい、
何かバトンが渡されたように感じました。
私たちは、小さい頃になりたいものというものを持っていました。
今週のテーマは、「子供の頃なりたかったもの」です。
小さい頃、あなたはどんな夢を描いていましたか?
どんなことをすることに憧れていたんでしょうか?
そして、それは今の生き方にどんな風に影響しているのでしょうか?
■
私が子供の頃なりたかったものは・・・
月並みですが「野球選手」だったのです。
小さい頃は、神戸に住んでいました。
神戸といえば、阪神タイガースですが、
私の父は、巨人ファンで、私も初めは巨人が好きだったんです。
しかし、だんだんと野球が分かり始めてくると
好きになったのが、当時西宮球場を本拠地にしていた
「阪急ブレーブス」でした。
パリーグは全く人気が無く
オールスター戦の応援では、私は本当に貴重な存在だったと想います。
きっかけは、同じクラスの友人が
阪急友の会だったか、子どもの会だったか
ファンクラブのようなものに入っていました。
その子のお父さんに西宮球場に連れて行ってもらったのが
きっかけです。
また、当時黒い帽子に赤いマークが気に入ったこともありました。
阪急ブレーブスには
とても個性的でいぶし銀の選手が多かったのです。
その中でも
アンダースローの山田久志投手と
盗塁王の福本豊選手が
私のモデリングの対象でした。
王選手が世界のホームラン王として世の中で評価されているのに
世界の盗塁王福本が、そんなに評価を受けていないことが
私としてはとても悔しい限りでした。
話が少しずれますが、
福本選手は、盗塁をすることに命を懸けていて
ピッチャーのビデオを撮っては
けん制のクセがどこにあるかを研究していたそうです。
彼らが私のとてもつもない夢になりました。
それは、
アンダースローのピッチャーで盗塁王になって
甲子園を湧かせよう!
というものでした。
しかし、私が加入した少年野球は、
アンダースローが禁止で、
その上、私が都合で休んだときに
勝手にポジションを決められ、
キャッチャーを任されることになり
私の夢はあえなく変わっていったのでした。
しかし、その夢の根底にあるものは
今も人生で活かされています。
まず、高校から関東に住むことになりましたが
その時には、甲子園に出場していた高校に行くことになりました。
今の講師の仕事も人前に立つ仕事なので
甲子園のマウンドに立つように
ひたむきにやりながら感動を引き起こすことができます。
また、山田久志や福本豊のような
個性ある独特の自分なりのスタイルを仕事の中で発見したい
という想いを常に持っています。
残念ながら、
まだ当時のパリーグのように人気はこれからのようですが、
今では佑ちゃんの加入で、
むしろテレビではパリーグ中心になっているように
NLPフィールドもいつか誰にでも知られる存在になるように
活動を続けていきたいと願っています。
2011年03月15日
不安なこと、できないことではなく、安全のためにできることから始めよう!
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
被災地にみなさまにおかれましては
今も非常に御辛い状況にいらっしゃると想います。
お互いを労わりながら
心からこの難局を乗り越えて頂けることを祈っています。
また、お亡くなりになられた方には
心からお悔やみ申し上げますとともに
ご冥福をお祈りしています。
被災地にご家族やご友人のいらっしゃる方も
心落ち着かない日々が続けているかと想います。
必ず、ご連絡が取れお元気である姿や声に触れられるように
どうぞお気を強くお持ちになり、くれぐれもご自愛下さい。
また、こちらでは今朝にも余震がありましたが、
みなさまは大丈夫でしたでしょうか?
昨日と比べると今日は交通機関も
順調に動き始めていて
テレビも報道番組のテイストも変わってきて
徐々に震災後から日常へシフトし始めてきたように想います。
私たちは、これまでの生活してきた日常という基準があります。
それと異なる現状を目の当たりにしたときに、
自分の日常を基準に物事をみてしまうクセがあるようです。
そんなときには、大きく深呼吸して
周りでどんなことが起こっているのか
外に基準にペーシングしていくことが大切になります。
なぜなら、内的な日常の基準と外の現実とのGAPから
不安や心配を生み出してしまうからです。
今、起こっていることを基準にして
安心、安全にするために何ができるのか?
そんな問いかけをすることで
私たちに力が戻ってきます。
私自身、余震直後は
また来るんではないか、という軽いパニックになりました。
心臓がドキドキして、呼吸が速くなっている自分に気づいたのです。
NLPを学んでいたため、
私自身は、呼吸を落ち着かせ、センターを取り直し
そして、自分でフォビアキュアというスキルを使い
記憶と感情の結びつきが強かったものを
うまく分離させることができました。
私はたまたまNLPの技術を持っていたので
良かったのですが、
一般の方には、それができずにいらっしゃる方もいると想います。
そこで、私の師匠である
ニュージランドのリチャードボルスタッド先生に
問い合わせをして、
これから私と同じような症状が出る方に
NLPで何ができるかを問い合わせてみました。
ニュージーランドでは
東日本大震災の前に
クライストチャーチで大地震がありました。
リチャード先生は、
その時に、トラウマキュアチームを結成して
クライストチャーチの対応についてまとめ
HPに情報を掲載しています。
http://www.transformations.net.nz/trancescript/christchurch.html
損害賠償保障などニュージランドのほうでは
きちんと整備されている環境で
支援ができている姿が垣間見れました。
社会のなかでNLPが貢献しているんですね。
こちらを読んで感動し、
日本の私たちにできることはないかと
問い合わせたところ
リチャード先生が、日本向けにこちらを応用したHPを
作ってくれました。
http://www.transformations.net.nz/trancescript/japanearthquake.html
現在、こちらをユール洋子先生、伊藤真弓トレーナー
そして、ニュージランド在住の柳井先生にご協力頂き
翻訳をしています。
震災後には
まずプロフェッショナルによる人命救助
そして、その後に
被災者の方が、支援物資の配給は住宅の建設など
日常生活に戻っていくフェーズを経ていきながら
心的に痛みを伴った方へのケアも始まっていくと想います。
まずは、私たちで支援できる情報を共有し
その時までに私たちができることを行ないながら、
協力できることをさらに考えていく必要がありそうです。
まだ、原発の問題など
見守らなくてはいけないものはありますが
一方では、私たち日本人の素晴らしさにも触れられ
お互いに協力しあい、
前に進む姿も感じることができました。
自分ひとりでは何もできない無力感をもつこともありましたが
きっと日本が、これを機会に
新しくトランスフォーメーションしていくために
私たち一人ひとりができることを積重ねて
進めていくことが大切なときかもしれません。
周りには子どもたちが無邪気にはとを
追っかけている光景なども見受けられます。
こうしたときでも
幸せはわたしの側にあります。
そのことにも同時に気づいていって欲しいです。
(株)NLPフィールドの酒井です。
被災地にみなさまにおかれましては
今も非常に御辛い状況にいらっしゃると想います。
お互いを労わりながら
心からこの難局を乗り越えて頂けることを祈っています。
また、お亡くなりになられた方には
心からお悔やみ申し上げますとともに
ご冥福をお祈りしています。
被災地にご家族やご友人のいらっしゃる方も
心落ち着かない日々が続けているかと想います。
必ず、ご連絡が取れお元気である姿や声に触れられるように
どうぞお気を強くお持ちになり、くれぐれもご自愛下さい。
また、こちらでは今朝にも余震がありましたが、
みなさまは大丈夫でしたでしょうか?
昨日と比べると今日は交通機関も
順調に動き始めていて
テレビも報道番組のテイストも変わってきて
徐々に震災後から日常へシフトし始めてきたように想います。
私たちは、これまでの生活してきた日常という基準があります。
それと異なる現状を目の当たりにしたときに、
自分の日常を基準に物事をみてしまうクセがあるようです。
そんなときには、大きく深呼吸して
周りでどんなことが起こっているのか
外に基準にペーシングしていくことが大切になります。
なぜなら、内的な日常の基準と外の現実とのGAPから
不安や心配を生み出してしまうからです。
今、起こっていることを基準にして
安心、安全にするために何ができるのか?
そんな問いかけをすることで
私たちに力が戻ってきます。
私自身、余震直後は
また来るんではないか、という軽いパニックになりました。
心臓がドキドキして、呼吸が速くなっている自分に気づいたのです。
NLPを学んでいたため、
私自身は、呼吸を落ち着かせ、センターを取り直し
そして、自分でフォビアキュアというスキルを使い
記憶と感情の結びつきが強かったものを
うまく分離させることができました。
私はたまたまNLPの技術を持っていたので
良かったのですが、
一般の方には、それができずにいらっしゃる方もいると想います。
そこで、私の師匠である
ニュージランドのリチャードボルスタッド先生に
問い合わせをして、
これから私と同じような症状が出る方に
NLPで何ができるかを問い合わせてみました。
ニュージーランドでは
東日本大震災の前に
クライストチャーチで大地震がありました。
リチャード先生は、
その時に、トラウマキュアチームを結成して
クライストチャーチの対応についてまとめ
HPに情報を掲載しています。
http://www.transformations.net.nz/trancescript/christchurch.html
損害賠償保障などニュージランドのほうでは
きちんと整備されている環境で
支援ができている姿が垣間見れました。
社会のなかでNLPが貢献しているんですね。
こちらを読んで感動し、
日本の私たちにできることはないかと
問い合わせたところ
リチャード先生が、日本向けにこちらを応用したHPを
作ってくれました。
http://www.transformations.net.nz/trancescript/japanearthquake.html
現在、こちらをユール洋子先生、伊藤真弓トレーナー
そして、ニュージランド在住の柳井先生にご協力頂き
翻訳をしています。
震災後には
まずプロフェッショナルによる人命救助
そして、その後に
被災者の方が、支援物資の配給は住宅の建設など
日常生活に戻っていくフェーズを経ていきながら
心的に痛みを伴った方へのケアも始まっていくと想います。
まずは、私たちで支援できる情報を共有し
その時までに私たちができることを行ないながら、
協力できることをさらに考えていく必要がありそうです。
まだ、原発の問題など
見守らなくてはいけないものはありますが
一方では、私たち日本人の素晴らしさにも触れられ
お互いに協力しあい、
前に進む姿も感じることができました。
自分ひとりでは何もできない無力感をもつこともありましたが
きっと日本が、これを機会に
新しくトランスフォーメーションしていくために
私たち一人ひとりができることを積重ねて
進めていくことが大切なときかもしれません。
周りには子どもたちが無邪気にはとを
追っかけている光景なども見受けられます。
こうしたときでも
幸せはわたしの側にあります。
そのことにも同時に気づいていって欲しいです。
2011年03月08日
自由な世界で、初めて自分が不自由だと気づく
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
今週は「自由」をテーマに書いています。
「自由」と聴くとあなたはどんなことを連想しますか?
何かから逃れることを自由と定義するのか、
もっと今よりも選択肢が広がることを定義するのか
それとも、気持ちの問題なのか・・・
そして、あなたはどんなときに「自由」を感じるのでしょうか?
私は、小学生のとき
家から学校まで通学路というものがあり
その道は、赤く塗られていました。
赤い道には、頑丈な鉄の柵があって
車が通れないようになっています。
そして、ずっと登り坂一直線になっています。
私はいつも遅刻しそうな時間に学校に行っていたため
毎日、この赤い道を走っていきました。
そして、ある時
こんな風に思ったんです。(小学生のときに・・・)
ぼくの人生は、
いつもこの決まった道をこうして駆け足で走っているんだ。
何だか、この道から外れられないような気がしていましたが
そんなことを考えると時間に遅れるので
考えないようにして、前だけ向いて走っていました。
それから、私は
周りからの期待というレールの上を
ずっと走っていたように想います。
それは、何かある幅を持ってはいるのですが
そこから逸脱してはいけない、
そんな真面目さを伴ったものでした。
そして、その期待の道を歩いていれば
一方では嫌であっても、一方では守られているような
感覚もあったのです。
だから、どこかでその道が他の力で
壊されないか、と期待していたこともありました。
そしたら、自分の責任ではなく、他の道を模索できたからです。
そんな生き方をしていた私があるとき
本当の自由ってこんな感じなんだ、と
体感したことがありました。
それは、インプロという即興演劇をしていたときです。
即興演劇というのは、
台本のないお芝居です。
例えば、相手が「お父さん」と私に語りかければ
私は「お父さん」になり、
相手に「なんだ、そんなところに隠れていたのか?」
と言えば、
相手は、その言葉に従って役割を演じることになります。
そして、お互いのコミュニケーションから
状況の設定からお互いの関係性、ドラマが生まれてきます。
そこに参加する人は
どんな話が展開されるかは全く分かっていません。
今、その時に起こることを積重ねていきながら
言葉と演技で表現していくのです。
この即興演劇の面白いところは
自分ひとり勝手に話を進めることができない点です。
そして、また設定も
平安絵巻から戦国時代や未来の宇宙ステーションの話まで
時と場所を超えて生まれてくるものなのです。
それをトレーニングしているうちに
自分の心の中で、
自分の行きたいところや住みたいところは
自分で決めていいんだ、ということに気づいたのです。
インプロは、とにかく誰かが何かを決めないと
話が進みません。
そして、それも何でも自由に決めて構わないのです。
決めたこともとにどんどん話を進めるので
何であれ、決めたことを尊重し、共有し話を展開していくのです。
しかし、人は自由に決めていいといわれると
無限の選択肢があって決められなかったり、
共演者のことを考えると自分が勝手に決めて
相手に迷惑をかけないかとか
勝手に自分で自分を不自由にさせていくのです。
そのことに気づいたとき
架空のインプロ空間に限らず
私たちの人生も同じだ、と思ったんです。
自分の住みたい場所、ともに人生を送りたい仲間
多くの時間を使う仕事、自分が貢献すること
それは、自由に自分が選んで構わないんです。
その時に
自分が生活したい場所、やりたい仕事を選ぼうと
心から想いました。
そして、NLPを学んだとき
インプロも面白いけれども
もっと学術的にも、そして心理面でも心や考えの囚われから
解放できる方法があるんだ、と実感しました。
私のNLPでは、こんな理由から
インプロの手法もたくさんとりこみながら
心の囚われや固執した考えから自由になる方法を
体験してもらっています。
だからこそ、参加した多くの方が
自分のやりたいことや生きたい場所を選んでいるんだと
想います。
あなたもそろそろ決められた道から
飛び出してみませんか?
本当の自由な世界に行けば、
自分が自分をどれだけ不自由にしていたかが
よくわかりますよ。
それに気づいた人が
NLPを使うと、心から解放された自分を取り戻せるようになります。
(株)NLPフィールドの酒井です。
今週は「自由」をテーマに書いています。
「自由」と聴くとあなたはどんなことを連想しますか?
何かから逃れることを自由と定義するのか、
もっと今よりも選択肢が広がることを定義するのか
それとも、気持ちの問題なのか・・・
そして、あなたはどんなときに「自由」を感じるのでしょうか?
私は、小学生のとき
家から学校まで通学路というものがあり
その道は、赤く塗られていました。
赤い道には、頑丈な鉄の柵があって
車が通れないようになっています。
そして、ずっと登り坂一直線になっています。
私はいつも遅刻しそうな時間に学校に行っていたため
毎日、この赤い道を走っていきました。
そして、ある時
こんな風に思ったんです。(小学生のときに・・・)
ぼくの人生は、
いつもこの決まった道をこうして駆け足で走っているんだ。
何だか、この道から外れられないような気がしていましたが
そんなことを考えると時間に遅れるので
考えないようにして、前だけ向いて走っていました。
それから、私は
周りからの期待というレールの上を
ずっと走っていたように想います。
それは、何かある幅を持ってはいるのですが
そこから逸脱してはいけない、
そんな真面目さを伴ったものでした。
そして、その期待の道を歩いていれば
一方では嫌であっても、一方では守られているような
感覚もあったのです。
だから、どこかでその道が他の力で
壊されないか、と期待していたこともありました。
そしたら、自分の責任ではなく、他の道を模索できたからです。
そんな生き方をしていた私があるとき
本当の自由ってこんな感じなんだ、と
体感したことがありました。
それは、インプロという即興演劇をしていたときです。
即興演劇というのは、
台本のないお芝居です。
例えば、相手が「お父さん」と私に語りかければ
私は「お父さん」になり、
相手に「なんだ、そんなところに隠れていたのか?」
と言えば、
相手は、その言葉に従って役割を演じることになります。
そして、お互いのコミュニケーションから
状況の設定からお互いの関係性、ドラマが生まれてきます。
そこに参加する人は
どんな話が展開されるかは全く分かっていません。
今、その時に起こることを積重ねていきながら
言葉と演技で表現していくのです。
この即興演劇の面白いところは
自分ひとり勝手に話を進めることができない点です。
そして、また設定も
平安絵巻から戦国時代や未来の宇宙ステーションの話まで
時と場所を超えて生まれてくるものなのです。
それをトレーニングしているうちに
自分の心の中で、
自分の行きたいところや住みたいところは
自分で決めていいんだ、ということに気づいたのです。
インプロは、とにかく誰かが何かを決めないと
話が進みません。
そして、それも何でも自由に決めて構わないのです。
決めたこともとにどんどん話を進めるので
何であれ、決めたことを尊重し、共有し話を展開していくのです。
しかし、人は自由に決めていいといわれると
無限の選択肢があって決められなかったり、
共演者のことを考えると自分が勝手に決めて
相手に迷惑をかけないかとか
勝手に自分で自分を不自由にさせていくのです。
そのことに気づいたとき
架空のインプロ空間に限らず
私たちの人生も同じだ、と思ったんです。
自分の住みたい場所、ともに人生を送りたい仲間
多くの時間を使う仕事、自分が貢献すること
それは、自由に自分が選んで構わないんです。
その時に
自分が生活したい場所、やりたい仕事を選ぼうと
心から想いました。
そして、NLPを学んだとき
インプロも面白いけれども
もっと学術的にも、そして心理面でも心や考えの囚われから
解放できる方法があるんだ、と実感しました。
私のNLPでは、こんな理由から
インプロの手法もたくさんとりこみながら
心の囚われや固執した考えから自由になる方法を
体験してもらっています。
だからこそ、参加した多くの方が
自分のやりたいことや生きたい場所を選んでいるんだと
想います。
あなたもそろそろ決められた道から
飛び出してみませんか?
本当の自由な世界に行けば、
自分が自分をどれだけ不自由にしていたかが
よくわかりますよ。
それに気づいた人が
NLPを使うと、心から解放された自分を取り戻せるようになります。
2011年03月01日
ハンドルは誰の手に・・・
少年は、時折さみしい顔を見せることがあった。
彼は、生まれてから自分の父母を知らない。
そして今親戚の家に預けられている。
だから、
いつも他人の家にいるような感じていた。
「みんなに迷惑がかからないように・・・」
少年の口癖だった。
知らないうちに身体が緊張しながらも
寂しさを隠すために周りには無理に笑顔を作って
陽気に振舞っていた。
そんな彼にとっての楽しみは
雲のない大空を眺めることだった。
その冬空には大きな凧が泳いでいた。
父と楽しそうに遊ぶ子どもの姿を見ては
少年も夢の中で、顔も知らない父と遊んでいた。
そして、もう一つの心が安らぐ瞬間が
冬から春に訪れを知らせる温かな風だった。
この風に包まれると
かすかな記憶にある母のぬくもりを感じることができた。
そのぬくもりが、
固くなった少年の心へじんわりと
染み込んでいった。
少年は、紙飛行機を作ることが好きだった。
丁寧に紙の両端を合わせて、
指先でしっかりと折り目をつけた。
左右のバランスと重心の位置を
いつも確かめた。
少年が紙飛行機を作るきっかけになったのが
ある日のテレビに映っている飛行船だった。
海外の様々な国を飛び回る飛行船だった。
大空に優雅に飛んでいく姿が
少年の目を輝かせた。
風に任せて、
彼の知らない世界を訪れることが
彼の夢になった。
しかし、少年の飛行機は
いつも気まぐれな風にあおられて
遠くに飛ぶことはなかった。
そこが自分の世界の限界だった。
少年は、きっと自分の幸せは
あの世界の先にあるんだろう、と思っていた。
ある時、一人の男が現れた。
あの世界の先に連れて行ってくれるという。
少年は、考えた。
「みんなに迷惑がかからないように・・・」
少年の口癖がでた。
自分が遠くその先に行くと、
ここに帰ってこれないような気がしたからだ。
親戚とはいえ、
急にいなくなったら心配するし、
少年は誰にも迷惑を掛けたくはなかった。
「時間がないんだ。」
男は言った。
「時間がない。」
少年はつぶやいた。
そのとき、自分に流れてくる
温かな風を受けた。
春の薫りがした。
「どこにいくの?」
少年はきいた。
「どこでも。風の通るところなら。」
男は答えた。
「そこに行ったら?」
少年は尋ねた。
「そこに行くまでの方がきっと楽しい。」
男は答えた。
少年は、男の手を掴んだ。
「風の方へ」
男は言った。
「君の行きたいところへ」
少年の心は何かから解き放たれた。
******
男は夢から覚める。
夢と同じ香りが風とともにやってきた。
風はどこでもいける。
風だけだろうか?
風は気まぐれに流れているのだろうか?
ぼくはどこに流れていくのだろうか?
風の中のぼく、、、ぼくの中の風、、、、
彼は、生まれてから自分の父母を知らない。
そして今親戚の家に預けられている。
だから、
いつも他人の家にいるような感じていた。
「みんなに迷惑がかからないように・・・」
少年の口癖だった。
知らないうちに身体が緊張しながらも
寂しさを隠すために周りには無理に笑顔を作って
陽気に振舞っていた。
そんな彼にとっての楽しみは
雲のない大空を眺めることだった。
その冬空には大きな凧が泳いでいた。
父と楽しそうに遊ぶ子どもの姿を見ては
少年も夢の中で、顔も知らない父と遊んでいた。
そして、もう一つの心が安らぐ瞬間が
冬から春に訪れを知らせる温かな風だった。
この風に包まれると
かすかな記憶にある母のぬくもりを感じることができた。
そのぬくもりが、
固くなった少年の心へじんわりと
染み込んでいった。
少年は、紙飛行機を作ることが好きだった。
丁寧に紙の両端を合わせて、
指先でしっかりと折り目をつけた。
左右のバランスと重心の位置を
いつも確かめた。
少年が紙飛行機を作るきっかけになったのが
ある日のテレビに映っている飛行船だった。
海外の様々な国を飛び回る飛行船だった。
大空に優雅に飛んでいく姿が
少年の目を輝かせた。
風に任せて、
彼の知らない世界を訪れることが
彼の夢になった。
しかし、少年の飛行機は
いつも気まぐれな風にあおられて
遠くに飛ぶことはなかった。
そこが自分の世界の限界だった。
少年は、きっと自分の幸せは
あの世界の先にあるんだろう、と思っていた。
ある時、一人の男が現れた。
あの世界の先に連れて行ってくれるという。
少年は、考えた。
「みんなに迷惑がかからないように・・・」
少年の口癖がでた。
自分が遠くその先に行くと、
ここに帰ってこれないような気がしたからだ。
親戚とはいえ、
急にいなくなったら心配するし、
少年は誰にも迷惑を掛けたくはなかった。
「時間がないんだ。」
男は言った。
「時間がない。」
少年はつぶやいた。
そのとき、自分に流れてくる
温かな風を受けた。
春の薫りがした。
「どこにいくの?」
少年はきいた。
「どこでも。風の通るところなら。」
男は答えた。
「そこに行ったら?」
少年は尋ねた。
「そこに行くまでの方がきっと楽しい。」
男は答えた。
少年は、男の手を掴んだ。
「風の方へ」
男は言った。
「君の行きたいところへ」
少年の心は何かから解き放たれた。
******
男は夢から覚める。
夢と同じ香りが風とともにやってきた。
風はどこでもいける。
風だけだろうか?
風は気まぐれに流れているのだろうか?
ぼくはどこに流れていくのだろうか?
風の中のぼく、、、ぼくの中の風、、、、
2011年02月22日
本気で目覚めた瞬間
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
今週のテーマは「尊敬する人」です。
私の周りには
たくさんの尊敬する人たちがいます。
それぞれの人からたくさんの良いところを学び
また、自分が成長していくところを教えてもらっています。
その中でもとりわけ
何人かの人たちが、いつも浮かび上がってきます。
一人は、先週お話した「松林博文」さんです。
彼の自由な生き方や考え方は
私の囚われた考え方を解放してもらえました。
それは、私だけではありません。
私の周りにいた人々は、数多く彼からの影響を受けていました。
それでいてすごく知的な面もあり
MBAもさることながら、英語にも優れている上に
人間に対する洞察力やまなざしが
私にとって人生を飛躍する大きなきっかけになりました。
そして、もう一人は(株)チームフローの
「平本あきお」さんです。
彼の本気さや情熱は
私の心の中にある炎に火をつけてくれました。
私は、自分でいうのも何ですが
どちらかといえば「やさしい」方の部類に入る
人間かもしれません。
今では、自然体と思っているのですが
確かに、昔は自分の中に本気さや情熱というものに
憧れつつも、自分には馴染まないものだとも
感じていました。
私が「平本あきお」に求めていたものは
彼の人生やクライアントに対する
「情熱」や「本気さ」だったのかもしれません。
今でも覚えていますが
初めて彼と一緒にリードした
「NLPコーチングアドバンス講座」でのこと。
第一週、第二週と過ごしていき
私は自分のやりたいことが満足にできていたと
思ったのですが、
平本さんは、どうやら私のあり方に
馴染めなかったようです。
それは、
私がNLPの正しさや理論面を正確に伝えようと
していたあまり、
私自身の姿を全く見せていなかったことから
でした。
それは、私でなくてもできること。
彼には、そんな風に映っていたのかもしれません。
第三週の私がとても大好きなニューロロジカルレベルという
スキルをご紹介するときに
平本さんは、受講生の前でこんな風に語ったのです。
「このまま、私は皆さんに講座を続けるのが申し訳ないと
思っている。
私は、ここでNLPを正しく教えたり、皆さんに理解して
もらうことには、あまり意味を感じていません。
それを続けるくらいであれば、ここで辞めてしまって
お金を返しても構わないと思っている。」
これを聞いたとき、
私は、自分の深いところが揺さぶられました。
私は、自分がとても価値があることをしていて
みんなにも役立っていることをしていると感じていました。
これまでも受講生からその言葉を聞いていたからでした。
だから
私は当時、みんなの前で侮辱されたと想いました。
しかし、同時にしばらくして
これまでの平本さんの関わりや彼の素晴らしさもわかっていたので
表面的な言葉の奥にあることも伝わってきました。
そして、私の深いところから
本当の声が目覚め始め、私の中で自分の殻が破れる音がしました。
「みんなの前でそのことを言われて、
私はとても悔しいです・・・
私はこのスキルを通して、自分が本当に変わることができた。
自分が何のためにこの命をもらい、
こうしてみんなの前に立っているのかも、
このスキルを通して、気づかされた。
私たちは能力ばかりで人から評価判断されてしまう。
でも、私たちは能力ではない、一人の人間なんです。
自分が何者で、何を大切にしているのか
自分はこの命をどんな人たちに使い、この社会にどんな影響を
与えるのかをわかって生きていくことがどれだけ大切なことなのか
それを体験して欲しい。だから、この講座を開いているんです。」
自分の頭で考えては出てこないような言葉が
勝手に口から出てきました。
これまではニューロロジカルレベルがどんなスキルで
何に役立つかを笑って語っていた自分ではなく、
私自身の深いところの想いが
やっと言葉をつかんで世界に現れてきたような感覚でした。
そして、平本さんも言葉の内容はどうであれ
上っ面の言葉ではなく、本気の言葉を聴きたかったのです。
それから、彼は私をニューロロジカルレベルでデモセッションして
いきました。
私の生き様に普段、セッションで泣かない平本さんの目からも
涙がこぼれていました。
彼との出会いが無ければ
私は、頭だけ大きな人間として生きていたかもしれません。
私は、それからみんなの前でリードするということが
どういうものかを身体を通して理解できました。
自分の存在から語ること。
これは、単に「存在」という軽いものではありません。
深い自分や本質とつながり
伝えていくこと。
言葉以上に、言葉を超えたものを伝えていく。
それが、今の私のNLPの講座でも生かされています。
私の深いところを見つめてくれた平本さんにも
とても感謝をしています。
この他にも
インプロの今井純さんなど、他にも尊敬する人々は
たくさんいるのですが、
今日はここまでにしておきましょう。
また、あなたの尊敬している人の話も聞かせてください。
2011年02月15日
心で繰り返される言葉があなたの人生を創っていく
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
今週のテーマは
「忘れられない言葉」です。
私たちの人生の重要なターニングポイントで
出会いや言葉というものがあります。
言葉は本で出会うこともあれば
友だちの何気ない一言や
ワークショップやセミナーで受け取ったものなど
いろいろな形で残っていると想います。
そして、その言葉が
私たちの背中を
そっとこれまでと違う方向に
押してくれるのです。
■
私にも忘れられない言葉があります。
それは、ビジネススクールで学んでいたとき
私はたくさんの理論を学ぶのだけれども
なかなかそれが実践できなくて悩んでいました。
多くの人は、周りでたくさんの結果を残しています。
私自身はそれと比べてどうなんだろう?
人と比べて自分自身を振り返るといえば聞こえがいいのですが
実際は、「なんてダメな自分なんだろう?」
「また同じようなことをしているんじゃないか?」
と苛まれていました。
一方では、仲間と刺激しあい
自分の会社で何か学んだことを実践してみたいという
気持ちも高まっていました。
そんなときに
私は直接学んだことは無いのですが、
マーケティングを教えている
とても面白い講師がいることを
耳にしました。
その講師が夜に受講生と一緒に
パーティーをやっているというので
友だちにつてを辿って、連れて行ってもらいました。
そこでの仲間は、
優秀であることもさることながら
考え方が枠に囚われておらず、
自由奔放に生きていました。
その中心にいるのが、
この講師だということも
直感的に分かりました。
その講師が、松林博文さんという方です。
■
何度か彼や彼らの仲間と交流しているうちに
「なんで、そんなに難しく考えるの?」
「それって、本当にやりたいことなの?
理屈こねまわしてるだけじゃないの?」
彼らと話していると、
違う星に来たかのような感覚になり、
私の中でもいろいろと囚われている考え方が
解放されていくのを感じました。
そして、何度か飲みにいっているうちに
彼らとも打ち解け、仲良くなっていきました。
あるとき、
六本木のバーでほんのりした光の中で
人生のいろいろなことを語っているときに
松林さんがふと
「あなたは何のために生まれてきたの?」
「この命をこの世界にどのように貢献するの?」
というようなことをポロッと語りました。
彼は、よく飲みながらふざけた話ばかりするので
そのときも多くの人は、
また冗談を言っているのか
と受け取っていたようです。
しかし、
私の心の中には
その言葉が響いていました。
「あなたは何のために生まれてきたの?」
「この命をこの世界にどのように貢献するの?」
私の中の空虚さに光が当たったようでした。
それは、底の無い沼なのか
先の見えない洞穴なのか・・・
でも、その声がずっと私のことを導き、
つかんで放さなかったのです。
「あなたは何のために生まれてきたの?」
「この命をこの世界にどのように貢献するの?」
私は、それからいろいろな本を読み漁って
その答えに一歩でも近づこうとしました。
哲学にも興味がでました。
そして、読みました。
そこには深遠な答えがありました。
アルケミストやモリー先生との火曜日
など答えが書いてありそうな本と数々出会いました。
しかし、まだ頭の中だけに納まっているものでした。
私は、その答えを探しに歩くことにしました。
やがて、そのプロセスに
コーチングやNLPと出会いがあり、
自分の答えを探しにいくツールを手に入れました。
そして、
いつしか自分の歩んできた道に
その答えがあることがわかりました。
言葉や本はとても良いガイドになります。
そのときに私たちが気づいていないけれども
大切なことに「言葉」で光をあて
つかみ出してくれるからです。
そして、その言葉を手がかりにして
進んでいくのは、
これまでの自分自身の人生であり
これからの自分自身の人生なのでしょう。
答えは、必ずそこにあります。
答えに向けて生きること
答えがわかっても
人生が進んでいる限り
変わっていくこともあります。
そしたら、またその答えを探しにいくこと。
それがまた人生を創っていくのでしょうね。
あなたの忘れられない言葉は何ですか?
どうして、その言葉が忘れられないのでしょうか?
2011年02月08日
私の好きな瞬間・・・
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
今週のテーマは
「私の好きな瞬間」ということで
書かせてもらいます。
****
NLP1dayレッスンでは
自分自身の人生をもう一度再体験する実習があります。
このときに
NLPを初めて学ぶ人たちが
お互いにサポートしながら
本格的なスキルを体験します。
初めて出会った人たちなのに
その日のこの実習を行なう頃には
たどたどしくても
精一杯目の前の人を支援しています。
一人ひとりが
自分のとって素敵な体験を
心からもう一度味わっていきます。
ある人は
小さい頃、親子で海に行ったシーンであったり
ある人は
自分の好きな人に、勇気をもって告白したシーンであったり
ある人は
会社のプロジェクトで、仲間たちと苦労しながらも
協力して出来上がったものに結果がでて、喜んでいる場面であったり
ある人は
初めてお子さんが生まれて、自分が手にしているシーンであったり
誰一人として
同じものがない、
それでいて、それぞれの人が人生の最高のひとときを
体験しながら
もう一度、自分の人生の歩みを振り返っていきます。
その人の顔、それをサポートしている人の姿
その関係性の中に生まれる一体感。
自分の人生を歩んでいる人も
涙を流し、
それを支えた人も、同じ経験をして
涙を流している、、、
たった、
その一日お会いしただけですが
それまでの人生や生き様を
ともに共有できる瞬間がある。
相手の人の宝物の数々を
ともに歩かせてもらえる幸せがある。
ここにきたときは、暗い表情をしていた人も
終わったときに
「これまで自分の人生なんて、、、って想っていましたが
自分の人生って感動できるんですね!!!」
そう答えてくれた方がいました。
私は
自分の人生を
もう一度
自分の足で
歩んで
受け取ってくれた
モーメントを
一緒に過ごさせてくれるのが
何より
好きな瞬間です。
(株)NLPフィールドの酒井です。
今週のテーマは
「私の好きな瞬間」ということで
書かせてもらいます。
****
NLP1dayレッスンでは
自分自身の人生をもう一度再体験する実習があります。
このときに
NLPを初めて学ぶ人たちが
お互いにサポートしながら
本格的なスキルを体験します。
初めて出会った人たちなのに
その日のこの実習を行なう頃には
たどたどしくても
精一杯目の前の人を支援しています。
一人ひとりが
自分のとって素敵な体験を
心からもう一度味わっていきます。
ある人は
小さい頃、親子で海に行ったシーンであったり
ある人は
自分の好きな人に、勇気をもって告白したシーンであったり
ある人は
会社のプロジェクトで、仲間たちと苦労しながらも
協力して出来上がったものに結果がでて、喜んでいる場面であったり
ある人は
初めてお子さんが生まれて、自分が手にしているシーンであったり
誰一人として
同じものがない、
それでいて、それぞれの人が人生の最高のひとときを
体験しながら
もう一度、自分の人生の歩みを振り返っていきます。
その人の顔、それをサポートしている人の姿
その関係性の中に生まれる一体感。
自分の人生を歩んでいる人も
涙を流し、
それを支えた人も、同じ経験をして
涙を流している、、、
たった、
その一日お会いしただけですが
それまでの人生や生き様を
ともに共有できる瞬間がある。
相手の人の宝物の数々を
ともに歩かせてもらえる幸せがある。
ここにきたときは、暗い表情をしていた人も
終わったときに
「これまで自分の人生なんて、、、って想っていましたが
自分の人生って感動できるんですね!!!」
そう答えてくれた方がいました。
私は
自分の人生を
もう一度
自分の足で
歩んで
受け取ってくれた
モーメントを
一緒に過ごさせてくれるのが
何より
好きな瞬間です。
2011年02月01日
「きっかけ」という種が大きな実をつける。
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
今週は、
「NLPを学んだきっかけ」について
お話します。
もう既にNLPを学んだ方には
あなた自身にも「きっかけ」があったかもしれませんね。
そして、これからNLPを学ぼうと考えている方にも
必要なタイミングで「きっかけ」というものが
訪れてくるでしょう。
「きっかけ」は、動機ともいえますが、
私たちの内側に生まれる衝動のようなものです。
これは、私たちの人生を前に進めるものですが
その衝動に従うこともあれば
自らの思考がそれをとめてしまうこともあります。
私にとって、NLPを学びたいという
「きっかけ」は
乾ききった砂漠を歩いていると
目の前に水がでてきたようなものでした。
■
当時、私は外資系の医療用具の会社で人事の仕事をしていました。
この前も書いたかもしれませんが、
会社でのリストラがあり
これからの環境は、会社に頼るのではなく
自分自身の才能を磨いていかないと、
どこにも通用しなくなるな、と考えていました。
しかしながら、
同じ世代の人が将来、自分のやりたいことを考えていなかったり
会社はただお給料をもらうだけのところと決めていて
自分の人生の時間を切り売りしていることが
もったいないな、と感じていた時期でもありました。
私の中でカギになるのは
内側から生まれて来る「やる気」や「モチベーション」を
どのように生み出せるかという確信はあったのですが、
どうしたら生み出されるのか方法が分からず、
人事の仕事をしながら、ずっと探し続けていました。
先週お話したビジネススクールで
コミュニケーションが人の心を揺り動かすことには
気づいていました。
組織の中でのコミュニケーションは
身体の中での血液のように感じていました。
綺麗にまわっていれば、健康体になりますが
澱んでいたり、栄養価の悪いものが巡っていれば
やがて病気になってしまいます。
その方法を探し続けていたとき、
「コーチング」というキーワードが飛び込んできました。
始めは、横文字で
コーチングが何をするものかも分かりませんでした。
ただ、コミュニケーションの中から
「やる気」が生み出されるような話だけを聞いていました。
それでも全く理解はできなかったのですが
私の嗅覚は、そちらの方向で間違いないという感覚とともに
たどり始めていったのでした。
そうしていると
実際にコーチングを体験できる場面がありました。
女性のクライアントさんが
「資格をとりたくて勉強しているのですが
ついついサボってしまう。」というようなテーマでした。
そこに参加していた初めてコーチングを学ぶ人たちが
いくつかの質問をしていきますが
クライアントさんの顔は一向に明るくはなりません。
しかし、となりのプロのコーチが関わりだしたとき
彼女の表情が本気になり、
身体から「やる気」や「本気さ」がみなぎってきていたのです。
自分の人生に対して
周りのせいばかりにしていたのが
自分で向き合い、責任を取り始めたのです。
私の背中に衝撃が走りました。
「こ・これだ、、私が求めていたものは!!!」
■
それからCTIというコーチング教育機関で
学びました。
その場でも人が自分の人生に真剣に向き合い
決断をしていく姿にたくさん触れることができました。
ビジネススクールでは頭の好奇心が満たされていたのですが
コーチングでは、私の感情やこれまでふたをして見ないことにしていた
数々のことに向き合う体験から
たくさんの重い枷を外して軽くなっていく感覚がありました。
人は頭だけでなく、心で動くものだと実感しました。
CTIでは、学び始めてすぐにセッションをする宿題があります。
私は果敢にチャレンジしました。
そして、自分にもできるという感覚が生まれたのです。
しかし、一方で
ここでは理論をしっかりと学ぶというよりは
体験から自分なりの理論を構築することを求められていたので
自分の中で、
「うまくいくこともあれば、うまくいかないこと」もあり
再現性があまり高くありませんでした。
「どうして上手くいってるのだろう?」
と振り返っても
そのときは、無我夢中でやっているので
わからないのです。
今度は、頭が不満を感じ始めました。
それでも、
この技術をもっと学びたい
今の会社の人たちや、自分と出会う人たちに
コーチングを通して
自分の人生に向き合い、本当の人生を生きていく支援をしたい
そんな強い想いを持ちました。
CTIが終わる頃、私はその場所を探していました。
■
そのときに、
(株)NLPラーニングの山崎啓支さんとの
出会いがありました。
彼とはCTIの途中の講座から同期で
親友でもあります。
お昼休みなどいろいろとお話する機会がありました。
これからも同じような学びをしていきたいと
話したときに、
彼が学んでいるNLP(神経言語プログラミング)を
紹介してくれたのです。
そして、調べてみると
彼の行っている教育機関のプラクティショナーコースの
開催が4日後に迫っていました。
金額もかなりの額でしたが
私は迷わずに、申し込みのボタンをクリックしました。
この「クリック」したことが
私の人生から違いが生まれた瞬間でした。
これまでの自分であれば
お金や時間を理由に自分の行動を制限していたでしょう。
しかし、自分の感覚や直観を信じて
行動することができたのです。
そして、その選択をよりよくするための
責任も同時に自分にあるんだ、ということも
受け入れることができました。
それからです。
私の人生のさまざまな障害が、
オセロの黒いコマが白にことごとく変わっていくような
経験をしたのです。
それとともに自分の中で
土台が築かれ、自信が生まれてきました。
自分が学んできたことや
これまで歩んできた道を全て肯定的に受け止めることが
できるようになったからです。
人と人が本気で触れ合える場所を作ること
そして、自分が自分の人生に向き合うための
可能性やモチベーションを高められるスキルやテクニック
そのトレーニングを通して、
その奥にある人間力を高めていきたい
どんな状況でも自分でいることに
安心できる人を育てていきたい、、、、
そんな気持ちも同時に発芽していきました。
2011年01月25日
ターンアウトスイッチ
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
今週は「初めてチャレンジしたこと」というテーマです。
おそらく私たちはこれまで
小さいことや大きなこと、いくつものチャレンジを通じて
人生を築いてきていると想います。
もし、チャレンジがなければ
いつも同じところをぐるぐるとまわっているでしょう。
川も流れておりところはいつも新鮮でキラキラしていますが
水が入れ替わらないたまった場所は澱んできますよね。
私の人生の中でもたくさんのチャレンジがありました。
その中でも今日、思い出したのは
自分で初めて「場(フィールド)」を作ったときのことです。
まだ、会社勤めをしていたとき
私は劣等感に突き動かされ、
さまざまな資格や学びを続けていました。
それは、副作用として
たくさんの良きことも生み出してくれました。
もう10年前になりますでしょうか?
当時もMBAを持っていると、
転職やキャリアアップがしやすいという流れがあり、
私も社労士やファイナンシャルプランナーを取ったので
次は、経営学を学ぼうと
グロービスというビジネススクールに通っていました。
ここは、とても面白い学校で、
企業でも活躍していたり、成長意欲の高い人たちなど
憧れる人や魅力的な人たちが集まっていました。
彼らは積極的に、
授業の他に平日夜や土日に集まっての勉強会や
関心のある分野では、
クラスを超えて集まったりもしていました。
私もたくさんの成長している人の中で
コミュニケーションをしていると
自分も引き上げられるような感覚が生まれてきます。
自分もできる、やれるんじゃないか、という感覚が
生まれてくるのです。
まさに環境がよければ、
人の潜在力というものは
大きく開花するんだということを
気づかないうちに感じていました。
■
ここで、私の初めてのチャレンジがありました。
新しいクラスが始まったときに、だれかれともなく
勉強会をしたい雰囲気になってきました。
私は、これまでは誰かが手を挙げたら
その後ろからついていくタイプだったのですが、
そのときには、大胆にも自分から手を挙げて
勉強会のリードをすることを提案しました。
もちろん、自分が講師になるわけではなく
場を設定するので
来る人たちの中で誰かが講師なり
勉強会のテーマを決めてくれるだろう、と思ったのです。
ただ、その場所を作りたい
そんな想いだけで手を挙げました。
深い心では、もちろん自分がその場にいたかったのはありましたが。
■
それから、
集まる時間や場所を決めて
みんなで勉強会を始めました。
始めは4人ほどの少ない人数でしたが、
徐々に増えて、最後は12名ほどになりました。
そのときに、自分が手を挙げて
来てくれるみんなが喜んでくれて、
感謝までされて、
私自身、嬉しくもあり自信にもなりました。
チャレンジがチャレンジを呼び込みます。
それからは、別の勉強会で名物講師がいて
そのパーティーに誘われたり、
とても仲がよくなった講師とは
別に有料で海外の文献を使った勉強会をしたりと
勉強を超えた仲間ができるようになりました。
これまでは、限られた会社の世界で
同じような人とグチなり、仕事の話しかできなかったのが
さまざまなビジネスの人たちの話が聞けたり
お互い業界を超えて、同じ悩みを持っていたりと
人間の幅も広くなり、見える世界も大きくなりました。
■
こうした場のつながりを創り続けていたときに、
ある講師から「コーチング」に関する本を翻訳するので
どういったものが教えて欲しい、という話がありました。
私は、友人とともに「コーチング」に関する
勉強会を立ち上げ、その講師とともに
まだ日本に広がり始めたコーチングを研究することにしました。
その研究の一環として
当時、CTIで学んでいた私は、
場を作るだけでなくて、
自分も講師として前に立って話をしてみたい
衝動に駆られました。
しかし、まだ私も「コーチング」の初心者だったので
そんな私がみなさんに「コーチングとは?」などを
語ってもいいのかという葛藤もでてきます。
そのときに自分を前に押し出してくれたのが
これまでのチャレンジしてきた
数々の経験でした。
仲間へと場(フィールド)に任せれば
自分ひとりで頑張らなくても
何かが起こることへの信頼でした。
そして、このチャレンジの小さな成功が
今、こうして私が講師を始める第一歩になったのです。
そして、その研究会は
やがてグロービスだけの枠ではなく
もっと社会のビジネスパーソン向けに
MBA以外で大切な学びとなるコミュニケーションや
感情のマネジメントなどを勉強するようになり
200名を超える人たちが集まるまでになったのです。
これまでの経験を振り返ってみると
私たちはどんな場(フィールド)で人生を過ごすかによって
自分の中から生み出されてくる才能が違ってきます。
私はNLPを通して
本当に自分が進みたいことが生み出されるフィールドや
人生で本音で語り合えたり、
成長を刺激しあい、お互いを高めあい
周りに貢献できるフィールドを創りたい!
そんな想いが生まれたのも
この経験があったからでした。
あなたの初めてのチャレンジはどんなものですか?
(株)NLPフィールドの酒井です。
今週は「初めてチャレンジしたこと」というテーマです。
おそらく私たちはこれまで
小さいことや大きなこと、いくつものチャレンジを通じて
人生を築いてきていると想います。
もし、チャレンジがなければ
いつも同じところをぐるぐるとまわっているでしょう。
川も流れておりところはいつも新鮮でキラキラしていますが
水が入れ替わらないたまった場所は澱んできますよね。
私の人生の中でもたくさんのチャレンジがありました。
その中でも今日、思い出したのは
自分で初めて「場(フィールド)」を作ったときのことです。
まだ、会社勤めをしていたとき
私は劣等感に突き動かされ、
さまざまな資格や学びを続けていました。
それは、副作用として
たくさんの良きことも生み出してくれました。
もう10年前になりますでしょうか?
当時もMBAを持っていると、
転職やキャリアアップがしやすいという流れがあり、
私も社労士やファイナンシャルプランナーを取ったので
次は、経営学を学ぼうと
グロービスというビジネススクールに通っていました。
ここは、とても面白い学校で、
企業でも活躍していたり、成長意欲の高い人たちなど
憧れる人や魅力的な人たちが集まっていました。
彼らは積極的に、
授業の他に平日夜や土日に集まっての勉強会や
関心のある分野では、
クラスを超えて集まったりもしていました。
私もたくさんの成長している人の中で
コミュニケーションをしていると
自分も引き上げられるような感覚が生まれてきます。
自分もできる、やれるんじゃないか、という感覚が
生まれてくるのです。
まさに環境がよければ、
人の潜在力というものは
大きく開花するんだということを
気づかないうちに感じていました。
■
ここで、私の初めてのチャレンジがありました。
新しいクラスが始まったときに、だれかれともなく
勉強会をしたい雰囲気になってきました。
私は、これまでは誰かが手を挙げたら
その後ろからついていくタイプだったのですが、
そのときには、大胆にも自分から手を挙げて
勉強会のリードをすることを提案しました。
もちろん、自分が講師になるわけではなく
場を設定するので
来る人たちの中で誰かが講師なり
勉強会のテーマを決めてくれるだろう、と思ったのです。
ただ、その場所を作りたい
そんな想いだけで手を挙げました。
深い心では、もちろん自分がその場にいたかったのはありましたが。
■
それから、
集まる時間や場所を決めて
みんなで勉強会を始めました。
始めは4人ほどの少ない人数でしたが、
徐々に増えて、最後は12名ほどになりました。
そのときに、自分が手を挙げて
来てくれるみんなが喜んでくれて、
感謝までされて、
私自身、嬉しくもあり自信にもなりました。
チャレンジがチャレンジを呼び込みます。
それからは、別の勉強会で名物講師がいて
そのパーティーに誘われたり、
とても仲がよくなった講師とは
別に有料で海外の文献を使った勉強会をしたりと
勉強を超えた仲間ができるようになりました。
これまでは、限られた会社の世界で
同じような人とグチなり、仕事の話しかできなかったのが
さまざまなビジネスの人たちの話が聞けたり
お互い業界を超えて、同じ悩みを持っていたりと
人間の幅も広くなり、見える世界も大きくなりました。
■
こうした場のつながりを創り続けていたときに、
ある講師から「コーチング」に関する本を翻訳するので
どういったものが教えて欲しい、という話がありました。
私は、友人とともに「コーチング」に関する
勉強会を立ち上げ、その講師とともに
まだ日本に広がり始めたコーチングを研究することにしました。
その研究の一環として
当時、CTIで学んでいた私は、
場を作るだけでなくて、
自分も講師として前に立って話をしてみたい
衝動に駆られました。
しかし、まだ私も「コーチング」の初心者だったので
そんな私がみなさんに「コーチングとは?」などを
語ってもいいのかという葛藤もでてきます。
そのときに自分を前に押し出してくれたのが
これまでのチャレンジしてきた
数々の経験でした。
仲間へと場(フィールド)に任せれば
自分ひとりで頑張らなくても
何かが起こることへの信頼でした。
そして、このチャレンジの小さな成功が
今、こうして私が講師を始める第一歩になったのです。
そして、その研究会は
やがてグロービスだけの枠ではなく
もっと社会のビジネスパーソン向けに
MBA以外で大切な学びとなるコミュニケーションや
感情のマネジメントなどを勉強するようになり
200名を超える人たちが集まるまでになったのです。
これまでの経験を振り返ってみると
私たちはどんな場(フィールド)で人生を過ごすかによって
自分の中から生み出されてくる才能が違ってきます。
私はNLPを通して
本当に自分が進みたいことが生み出されるフィールドや
人生で本音で語り合えたり、
成長を刺激しあい、お互いを高めあい
周りに貢献できるフィールドを創りたい!
そんな想いが生まれたのも
この経験があったからでした。
あなたの初めてのチャレンジはどんなものですか?
2011年01月18日
私の想いと願い・・・
こんにちは。
株式会社NLPフィールドの酒井です。
今日は私自身の自己紹介をしたいと想います。
キャリアとしては人材育成に関することを中心に積んできました。
入社した会社はベンチャー企業で
採用広告や人材派遣をメインにしていました。
そして、その後転職した外資系の医療用具メーカーで
採用、賃金や社会保険、人材の教育訓練などを中心に
仕事をしていました。
外資系とはいっても、文化は日本企業のように年功序列で
和気藹々としていました。
しかし、アメリカの景気が悪くなり、株主資本主義が台頭していた
時代でしたから、頻繁にM&Aが繰り返され、
アメリカの親会社も大きな保険会社に吸収されました。
そして、海外から社長が乗り込んできました。
初めてリストラを目の当たりにしました。
仲の良かった管理職の人が対象になり、辞めていきます。
昔は大活躍した人たちでした。
私は人事の仕事をしていましたから
これからの若い人はどうかと思ったとき、
彼らは、目の前の忙しさだけに囚われていて
自分の将来設計やキャリアプランなどはあまり考えていないようでした。
■
私自身は、そのとき重い病気を患うことになり
自分の将来を考え始めた時期でもありました。
このままでは、みんなが同じようにリストラにあってしまうのでは?
自分のキャリアや生き方に自分自身が責任を持ち始めないと
将来とんでもないことになると思いました。
しかし、その時には資格を取ることぐらいしか
頭には浮かびません。
・社会保険労務士
・ファイナンシャルプランナー
などを連続して取りましたが、
達成感も一瞬で、自分の人生に安心感が持てるかといえば
全くその感じはありませんでした。
それで、ビジネススクールに通うことにもしました。
ここが素晴らしかったのは
前向きな人たちや自分の人生プランをしっかりと考えている人たち
に出会えたことでした。
モチベーションが高く、行動力もある。
会社とは全く別の世界でした。
こういった場所にいることが大切なんだと感じました。
ここでのコミュニケーションが自分や周りを刺激して
全体でエネルギーが高まり、みんなモチベーションを高くしていく
構造が見えたのです。
会社でこの構造を移植できないか、
日本にこういう場所をたくさん作れないだろうか?
私なりのビジョンが生まれた瞬間でした。
しかし、一方では、そこにいることが苦しい自分もいました。
「何だろう?」
できる人と比較して、「できていない」自分を責めていたのです。
自分ができているところは当たり前にして
できていないところを人と比べて頑張る自分がいました。
これなんだ、資格をとっても安心感が得られないのは。。。
劣等感 でした。
自分で自分を認めていなかったのです。
だから、誰かから誉められたり、勝てば優越感が得られますが
比べている限りは、上には上がいます。
そして、自分はダメなんだ、と烙印を押していたのです。
では、どうしたら自分を認められるのだろう?
と思ったのです。
■
あるとき、ビジネススクールの友人がコーチングというものが
アメリカで流行っているということを教えてくれました。
どうやらコミュニケーションを通じて
モチベーションをアップする手法のようです。
ハーバードビジネスレビューにも掲載された頃でしょうか。
私は、当時は数が少なかったコーチといわれる人々を探しました。
こんな行動的になっている自分に驚きました。
そして、とあるコーチング養成機関で
コーチングを見たときに、背中に稲妻が走りました。
「ぼくが求めていたのはこの手法だったんだ!!」
それからはコーチングを学ぶことになりました。
■
会社にコーチング研修を入れたいと考えていて
出会ったのが、当時アメリカでCTIとアンソニーロビンスから
学んで帰ってきた平本さんでした。
彼に企業研修を依頼し、そして、彼から会社を設立するので
できたら一緒にやらないかと誘いを受けました。
自分の中で、会社でこれから仕事を続けるのか
それとも日本という舞台で平本さんと仕事をするのか迷いました。
そして、もっと大きな舞台で仕事をしてみよう、と
会社を退職して、当時の(株)エグゼクティブコーチ(現在は、チームフロー)で学びました。
■
技術を磨くべく、コーチングの後にNLPと出会いました。
(ここは、またお話します。)
NLPを学んでから
私の家族関係、(株)エグゼクティブコーチに入ることを決めたこと
自分の病気を受け入れることなど、人生の方向性を大きく変えるような
出来事が数々と起こりました。
NLPで、自分が進みたい方向性を決めて
それを実現するためのことを実行すること。
実行するためのコンディションづくりや
人間関係の改善、向上の仕方や
効果的なコミュニケーションの手法まで
今思えば、学校では学ばないけれども
人生では必要不可欠な
スキルや姿勢、態度を学ぶことができました。
病気の私でも独立して、自分のやりたいことができる
好きなことをして好きな仲間たちとお金を稼げて、
豊かな生活もできる。
もっと早くから学んでおけばよかった、そう想いました。
■
NLPの学びのプロセスで
いつかコーチングとNLPを融合したワークショップを
創りたいと願いました。
そして、当時は平本さんが「NLPコーチング」というものを
世にリリースしていました。
まだ、私は(株)エグゼクティブコーチや平本さんに会う前
でしたから、彼を差し置いてできるのかな、という一抹の不安も
ありました。
しかし、企業研修を通じて彼と出会い、
彼の会社のアドバンス講座として
「NLPアドバンスコース」というものを創って世界にリリース
することができました。
やっと、自分でも仲間と協力しながらも
この日本にコミュニケーションを通して、
人を元気にして、本来の自分を表現できる場を創れたんだ、
コーチングを通して、その人の可能性を最大化できる場を
つくることができたんだ、と感慨深くなりました。
今でも初めて参加してくれた人たちや
それから参加してくれた人たちを忘れていません。
■
NLPを通じて自分が人生で大切にしたいこと。
多くの人は、人と比べて自分の位置を把握するプログラムを
持っています。
それが、ときに劣等感として顔をのぞかせたり
自己否定的な考え方に襲われることがあります。
それが、自らの可能性にふたをしてしまっています。
また、多くの人が何かを達成したり、何者かになろうとしています。
それは社会的に期待されている理想像であったり
過去の痛みの反動から作り出している自己像であったりします。
人間の土台として
自分を好きになること、自分を信じること
自分が自分であることに安心できること、OKを出せること
自分の内側から沸き起こる衝動や直観を受け取り
それを社会に受け取れる形で行動に移せる人々になっていく
このシステムを自分自身に身につけて欲しいと願っています。
それを私はNLPプラクティショナーコースで開催しています。
また、私たちは誰一人として同じ道を歩む人はいません。
それだけで私たちは人と比べるまでもなくオリジナルなのです。
30年以上生きてきた人たちには
周りの基準ばかりに囚われるのではなく、
自分基準を確立していって欲しいと願っています。
そして、自らが大切だと思うことを
他の人の大切にしていることと調和させながら
自らのフィールドを形成していく力をつくってもらいたいと
願っています。
私たちのそれぞれの大切にしていることを
融合し、統合させることで新しい発想や文化が生まれてきます。
それをこの日本の中で育み、伸ばしていって欲しいのです。
それが、これからの私たちの、日本の価値となっていくからです。
その場を創れる力や観点を育てて欲しいのが
NLPマスタープラクティショナーコースです。
自己紹介にしては長くなりましたが、
これから、さまざまな対話ををこのRightフィールドで
行ないたいと思っています。
どうかよろしくお願いします!!
株式会社NLPフィールドの酒井です。
今日は私自身の自己紹介をしたいと想います。
キャリアとしては人材育成に関することを中心に積んできました。
入社した会社はベンチャー企業で
採用広告や人材派遣をメインにしていました。
そして、その後転職した外資系の医療用具メーカーで
採用、賃金や社会保険、人材の教育訓練などを中心に
仕事をしていました。
外資系とはいっても、文化は日本企業のように年功序列で
和気藹々としていました。
しかし、アメリカの景気が悪くなり、株主資本主義が台頭していた
時代でしたから、頻繁にM&Aが繰り返され、
アメリカの親会社も大きな保険会社に吸収されました。
そして、海外から社長が乗り込んできました。
初めてリストラを目の当たりにしました。
仲の良かった管理職の人が対象になり、辞めていきます。
昔は大活躍した人たちでした。
私は人事の仕事をしていましたから
これからの若い人はどうかと思ったとき、
彼らは、目の前の忙しさだけに囚われていて
自分の将来設計やキャリアプランなどはあまり考えていないようでした。
■
私自身は、そのとき重い病気を患うことになり
自分の将来を考え始めた時期でもありました。
このままでは、みんなが同じようにリストラにあってしまうのでは?
自分のキャリアや生き方に自分自身が責任を持ち始めないと
将来とんでもないことになると思いました。
しかし、その時には資格を取ることぐらいしか
頭には浮かびません。
・社会保険労務士
・ファイナンシャルプランナー
などを連続して取りましたが、
達成感も一瞬で、自分の人生に安心感が持てるかといえば
全くその感じはありませんでした。
それで、ビジネススクールに通うことにもしました。
ここが素晴らしかったのは
前向きな人たちや自分の人生プランをしっかりと考えている人たち
に出会えたことでした。
モチベーションが高く、行動力もある。
会社とは全く別の世界でした。
こういった場所にいることが大切なんだと感じました。
ここでのコミュニケーションが自分や周りを刺激して
全体でエネルギーが高まり、みんなモチベーションを高くしていく
構造が見えたのです。
会社でこの構造を移植できないか、
日本にこういう場所をたくさん作れないだろうか?
私なりのビジョンが生まれた瞬間でした。
しかし、一方では、そこにいることが苦しい自分もいました。
「何だろう?」
できる人と比較して、「できていない」自分を責めていたのです。
自分ができているところは当たり前にして
できていないところを人と比べて頑張る自分がいました。
これなんだ、資格をとっても安心感が得られないのは。。。
劣等感 でした。
自分で自分を認めていなかったのです。
だから、誰かから誉められたり、勝てば優越感が得られますが
比べている限りは、上には上がいます。
そして、自分はダメなんだ、と烙印を押していたのです。
では、どうしたら自分を認められるのだろう?
と思ったのです。
■
あるとき、ビジネススクールの友人がコーチングというものが
アメリカで流行っているということを教えてくれました。
どうやらコミュニケーションを通じて
モチベーションをアップする手法のようです。
ハーバードビジネスレビューにも掲載された頃でしょうか。
私は、当時は数が少なかったコーチといわれる人々を探しました。
こんな行動的になっている自分に驚きました。
そして、とあるコーチング養成機関で
コーチングを見たときに、背中に稲妻が走りました。
「ぼくが求めていたのはこの手法だったんだ!!」
それからはコーチングを学ぶことになりました。
■
会社にコーチング研修を入れたいと考えていて
出会ったのが、当時アメリカでCTIとアンソニーロビンスから
学んで帰ってきた平本さんでした。
彼に企業研修を依頼し、そして、彼から会社を設立するので
できたら一緒にやらないかと誘いを受けました。
自分の中で、会社でこれから仕事を続けるのか
それとも日本という舞台で平本さんと仕事をするのか迷いました。
そして、もっと大きな舞台で仕事をしてみよう、と
会社を退職して、当時の(株)エグゼクティブコーチ(現在は、チームフロー)で学びました。
■
技術を磨くべく、コーチングの後にNLPと出会いました。
(ここは、またお話します。)
NLPを学んでから
私の家族関係、(株)エグゼクティブコーチに入ることを決めたこと
自分の病気を受け入れることなど、人生の方向性を大きく変えるような
出来事が数々と起こりました。
NLPで、自分が進みたい方向性を決めて
それを実現するためのことを実行すること。
実行するためのコンディションづくりや
人間関係の改善、向上の仕方や
効果的なコミュニケーションの手法まで
今思えば、学校では学ばないけれども
人生では必要不可欠な
スキルや姿勢、態度を学ぶことができました。
病気の私でも独立して、自分のやりたいことができる
好きなことをして好きな仲間たちとお金を稼げて、
豊かな生活もできる。
もっと早くから学んでおけばよかった、そう想いました。
■
NLPの学びのプロセスで
いつかコーチングとNLPを融合したワークショップを
創りたいと願いました。
そして、当時は平本さんが「NLPコーチング」というものを
世にリリースしていました。
まだ、私は(株)エグゼクティブコーチや平本さんに会う前
でしたから、彼を差し置いてできるのかな、という一抹の不安も
ありました。
しかし、企業研修を通じて彼と出会い、
彼の会社のアドバンス講座として
「NLPアドバンスコース」というものを創って世界にリリース
することができました。
やっと、自分でも仲間と協力しながらも
この日本にコミュニケーションを通して、
人を元気にして、本来の自分を表現できる場を創れたんだ、
コーチングを通して、その人の可能性を最大化できる場を
つくることができたんだ、と感慨深くなりました。
今でも初めて参加してくれた人たちや
それから参加してくれた人たちを忘れていません。
■
NLPを通じて自分が人生で大切にしたいこと。
多くの人は、人と比べて自分の位置を把握するプログラムを
持っています。
それが、ときに劣等感として顔をのぞかせたり
自己否定的な考え方に襲われることがあります。
それが、自らの可能性にふたをしてしまっています。
また、多くの人が何かを達成したり、何者かになろうとしています。
それは社会的に期待されている理想像であったり
過去の痛みの反動から作り出している自己像であったりします。
人間の土台として
自分を好きになること、自分を信じること
自分が自分であることに安心できること、OKを出せること
自分の内側から沸き起こる衝動や直観を受け取り
それを社会に受け取れる形で行動に移せる人々になっていく
このシステムを自分自身に身につけて欲しいと願っています。
それを私はNLPプラクティショナーコースで開催しています。
また、私たちは誰一人として同じ道を歩む人はいません。
それだけで私たちは人と比べるまでもなくオリジナルなのです。
30年以上生きてきた人たちには
周りの基準ばかりに囚われるのではなく、
自分基準を確立していって欲しいと願っています。
そして、自らが大切だと思うことを
他の人の大切にしていることと調和させながら
自らのフィールドを形成していく力をつくってもらいたいと
願っています。
私たちのそれぞれの大切にしていることを
融合し、統合させることで新しい発想や文化が生まれてきます。
それをこの日本の中で育み、伸ばしていって欲しいのです。
それが、これからの私たちの、日本の価値となっていくからです。
その場を創れる力や観点を育てて欲しいのが
NLPマスタープラクティショナーコースです。
自己紹介にしては長くなりましたが、
これから、さまざまな対話ををこのRightフィールドで
行ないたいと思っています。
どうかよろしくお願いします!!