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2011年06月06日

雨の季節、好きですか? 嫌いですか?

梅雨の時期になりました。
こんにちは、アシスタントトレーナー 
まさきです。

何度かお伝えしましたが
僕は、北陸、石川県金沢市の出身です。

日本海側の地域に多い格言に

「弁当忘れても傘忘れるな」

があります。(山陰地方でも言うそうです)

それほど、金沢は雨が多い地域です。

それで、僕は「雨が好きではない、嫌い」なのです。

子供のとき、
雨が降るときは、空が薄暗いし
靴がぬれて気持ち悪いし
遠足や運動会はなくなるし
カッパを着るとむしむしするし・・・

と、小さないやな感じが
沢山積み上がって
「雨が好きではない、嫌い」
でした。

雨の多い地域で生まれ育って
その「雨」が嫌いだとしたら

あれ? 自分の町が嫌いになりそうですよね・・・

実は、金沢を嫌いだと感じることもありました
さらに、8年前に東京に引っ越して
雨の少なさを実感して

「金沢って損してない?晴れが少なくって」

とも思ったりしました。

単純に、子供の頃の、雨が「嫌だった」体験が
積み重なっただけのことなのに、
自分のふるさとについて嫌にしまった
こんな事が起こりました。

きっかけや出来事が、些細なことであっても、
私たちは、そのことを増幅しながら
自分の判断だとか本当の気持ちだとか
思ってしまうことになることがあるのです。

NLPを学び始めてから、
「雨」は金沢の要素のある一部分に過ぎないことを
心身ともに合点することが出来て、
さらに、故郷である金沢は
自分のルーツ、支えてくれるものだ
と言う風に、
いわば、仲直りが出来たので
今は、故郷と「雨が嫌い」ということは
分けて考えることが出来る様になっています。

僕は、雨は、やっぱり
あまり好きではありません。
・・・飲料水や水道水の元となっていること
   降らないと水不足になること
   分かっていますが

雨は、やっぱりあまり好きではありません。

あ、一つだけ良いこと思い出しました
雨が育ててくれた新緑と
雨で水量が増えた「十和田湖〜奥入瀬渓谷」の
美しさは、
「雨が降って、十分な水量があったから
  新緑の美しさ、流れの美しさを見ることが出来た」
雨のおかげです。

好きではない、雨の季節も
その中で、何か少しでも「良いところ」を
見つけて、そこを見ていくことで
そう、ずいぶん過ごしやすくなりそうです。

今年の梅雨も、嫌いな中でも
その中のすごいところを見つけることが出来たら


さて、約一ヶ月、どんな風に
梅雨を楽しんでいきましょうか?

まずは、個々人でアイディアを
出してみるのも良いかもしれませんね。

探っていきましょうね

では。
posted by nlpfield at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | まさきの日記

2011年06月05日

2011年06月04日のつぶやき

nlpfield / 酒井利浩
圧倒される光景とひたむきに生きる姿: 6月に入りましたね。
この1日、2日は、岩手県の釜石市、大槌町、山田町にリスニングボランディアということで
支援に行ってきました。
先に支援に行かれている方から、人の支援をするためには... http://amba.to/lI8VXN
 at 06/04 12:22
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2011年05月31日

誓いの瞬間

おはようございます。

株式会社NLPフィールドの酒井です。


何かそこに足を踏み入れたとき、
スーと気持ちが静かになるところや
自分の感性が研ぎ澄まされることはありませんか?


最近はパワースポットが流行っていますが
伊勢神宮、明治神宮、出雲大社など
確かに足を踏み入れると
外の喧騒とはことなる静かな流れを感じることがありますね。


今週のテーマは「神聖な瞬間(感覚)」です。


私も神聖な瞬間や感覚になったことはいくつかありました。

その中でも、プラクティショナーコースの仲間と一緒に
富士山に登ってご来光をみたときは、
神聖な気持ちになりました。


これまで、(株)ピークパフォーマンス(現:(株)チームフロー)で
ピークパフォーマンスコーチングアドバンスというコースの
講師を平本さんとともにさせてもらっていました。

そして、それをさらに高めようと
NLPトレーナーコースに参加し、
始めてNLPの本当の意味での素晴らしさを
クリスティナホール先生に教えてもらいました。

そして、自分の中でNLPのコースを開催しようと
決意しました。


それから、準備期間を経て
NLPプラクティショナーコースを初めて開催したとき
いつも応援してくれたり懇意にしてくれた仲間が
集まってくれました。

その中でも、特に心から応援してくれたのが
レインボーさんこと森川朕光さんでした。


彼も自らの道を決意して、
ともに高みを目指していこうと誓い合いました。


その彼や仲間から
私の誕生日だったか、退院祝いだったかに
何かしたいことがあるのか?と聞かれました。

海外の人からNLPを学び、触れ合うにつれて
私の中で日本人としてのアイデンティティがうまれてきていたので
死ぬまでに一度富士山に登りたい、という想いを話しました。


そうしたとき
彼らが富士山の登頂計画をしてくれました。
それが、NLPプラクティショナーコース第一期の終了時だったのです。

コースで昇る参加者を募り、(私の妹もいました)
私たちの達成する目標を富士山の登頂と重ね合わせました。

また参加者は、どこから聞きつけたのか
コース参加者以外にも膨れ上がりました。


そして、当日。
レインボーさんが計画してくれたコースを
みんなで昇っていきます。

コースの始めは、かなり整理された道でしたが
やがては、ごつごつした岩ばかりになっていきます。

また、驚いたことに
登山者が溢れていて、
山頂付近では渋滞になるほどでした。


登頂でも酸素不足などで
さまざまなドラマがありましたが、
渋滞で日の出の時間までの登頂できない可能性が
生まれてきました。

そこで、私の妹が
渋滞の道以外の道を上り始めました。

彼女の行動力には驚かされましたが
私も彼女の後に続き、
なんとかご来光の時間までに
登頂にたどり着きました。


そして真っ暗な闇が
だんだんと明るくなります。

星たちと
大きく広がる雲海の間に
なんともいえないオレンジと青の入り混じった
言葉にできない光景が広がっていきます。

方々から、太陽が出るぞ!!
という声が聴こえてきます。


そして、光溢れる円弧が
地平線のかなたから顔をだしてきました。


そのときは、たくさんの人が
居たにもかかわらず
本当に心静かでおだやかな瞬間でした。

その空と一体になったような感覚です。

そして、近くに妹がいたことも
なぜか不思議なつながりをさらに感じることが
できました。


富士山から下山して
帰りのレインボーさんとバスの中で
お互いの道を進むために
しばしのお別れをすることになりました。

あのときのバスの風景もまた
目に焼きついています。


あのときから、誓いが始まったんだな、、、



posted by nlpfield at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | さかいの日記

2011年05月26日

自分の想いと繋がる


皆さん、こんにちは。Fumikoです。

今週のテーマは「英語」。

かれこれ16年前に転職がきっかけで渡った香港では
ありとあらゆるカルチャーショックが私を襲いました。

その中でもかなり衝撃的だったことのひとつが
ほとんどの人が最低3か国語、もしくは4ヶ国語を
話せるということでした。(!!)

母国語である広東語(中国語のひとつ)に加えて、
北京語、英語は当たり前、そして
日本への留学経験がある人だと、それに日本語が話せ
または家族の事情などでカナダで生まれたという人は
フランス語が話せるのでした。

つまり、“英語を話せること“というのが
何の自慢にもならないくらい普通のことだったのです。

「この人たち、いったいどういう頭の構造をしているんだろう?と」
当時の私は、自分の才能のなさにかなり落ち込みながら、考えたものです。

そして、香港の街に根を張って暮らしていくうちに
香港人と日本人の大きな違いに気づくことがありました。

それは

「香港人は英語を決して上手く話そうとはしていない」

ということでした。

私の住んでいたアパートは「チムサーチョイ」という
香港の中心にあり、周囲には美味しい地元の食堂から、
市場、果物屋さんなど、生活に密着したありとあらゆるものが
手にはいるとても便利なところでした。

そしてある日のこと、
いつも利用する小さな八百屋さんの太ったおばさんが、
西洋人相手に、おそろしくへたくそな英語で
自分のお店の大根を売りつけているのを目撃しました。

いかにその大根が、余所では手に入らないくらい、
新鮮で美味しいものかを売り込んでいるのです。

発音は、お世辞にも上手いとはいえず、文法だってかなりいいかげん。。。。
でも、なんとその西洋人は、おばさんに勧められた大根を買っていったのです!

つまり、コミュニケーションがとれていたということです。
そのおばさんが、どこかの英会話学校に通っていたなんて到底思えません。


多くの日本人が、最低6年間は英語を学び、
中には非常に難しい受験英語の単語を沢山知っているのに、
いざとなると英語を話せないと思っているとはよく言われます。

英語を話すこと=目的 ではなく、
その先にあるもの、

例えば大根を買って欲しい、とか、

あの人に好きだと伝えたい!とか、

その人が心の底から望んでいることと繋がることができれば
上手かどうかとか、正しいかどうかにかかわらず
英語でもコミュニケーションは充分、とれるのです。

この私が、そうやって香港で生きていくことができたのですから。

人の想いって本当に不思議です。

まずは「上手に」とか「正しく」というのを手放して
自分の内側にある想いに繋がってみませんか。


posted by nlpfield at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ふみこの日記

2011年05月24日

良いフィールドと目的意識

おはようございます。

株式会社NLPフィールドの酒井です。


以前からFacebookを始めているのですが、
そのマーケティング戦略などを行なっている
(株)メンバーズのミニセミナーに参加してきました。


日本ではmixiやtwitter等もはやっていますが
第三の勢力としてFacebookはかなり注目されています。

Facebookは、ソーシャルメディアとしての利用者数
をほとんどの国で1位を取っているにも関わらず、
3国ほどだけが、1位を取れていないと聞きました。

その3国のうちの一つが日本だそうです。


今週のテーマは「英語」です。


facebookの強みはよく実名ということを言われていますが
本当は全世界とのネットワークにあるようです。

これまでもインターネットで繋がってはいましたが
リアルな名前とともに交流が可能となるため、
さらに世界の情報の信憑性の高さや速度感が高まると考えられます。


一つのインターネット社会の成熟さをあらわしているのかもしれません。
そしてまた、インターネットとリアル世界の双方向の交流や融合にも
近づき始めるかもしれません。


そのなかで、英語を理解しておくのは
世界的な知恵を吸収できる機会が広がるともいえるでしょう。


私自身も英語をまた学び始めようかと考えています。

そして、磨きをかけることができたら
もっと自由な世界に足を運んでみることもできたらいいな、
と思っています。


では、英語をどのように学べばよいか?

良い空間と目的意識をまず持ってみるのはいかがでしょうか?

何のために英語を学びたいのか?
そして、英語自体を学ぶために楽しめる方法は何か?
を追求していけばいいでしょう。
そのためには、楽しくなるような空間(友人や環境など)を
求めたり、設定してみたりすればいいのかもしれません。

あとは、必要性を高めていく方法もあります。
英語を学ばないと、生活に困るというような状況を作ることです。


私も今、いろいろと試しています!

posted by nlpfield at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | さかいの日記

2011年05月23日

私たちは、“言葉の感覚”を使って話しています。

「ふとんがふっとんだ。」

子供の頃に聴いたことのある
ダジャレです。

ローマ字で書くと

Futon ga Futton da.

リズム感もあるし、
その光景があり得ない物なので
子供心に印象に残ったことば

私たちにとって、
最初のダジャレ経験の一つ
なのかもしれません。

これを翻訳しても
あまりおもしろくありません。

英語では「ふとん」は「futon」でも
あえて掛け布団と敷き布団に分けてみると
bedding と mattress
とも表現できますので、

A futon was blown away.
A bedding was blown away.
A mattress was blown away.

となって、リズム的には
当たり前の、そして、表現的にも
ダジャレ特有の、「その光景を想像してしまう」という
たとえ話効果のような物は
消えて無くなります。

どうも、私たちは
単語、文法だけで表される以上の
言葉の音、リズム、見た目といった
言葉の中でも
言葉で言い表せない部分の“言葉の感覚”を
使ってコミュニケーションをしていることに

気付いてしまいます。

これが、そして、
むしろそのリズムや感覚が
あるばかりに、
相手の話を、言葉の意味するところ
以上に自分の世界で解釈している
かもしれないのです。

そして、これは新しい言葉、
使い慣れない言葉を
使い始めたときに

気付くと同時に
沢山の言葉の発見
話をすることの発見が
生まれるわけです。

ちょうど、子供の頃
お母さんが出かけたとき
お父さんの「(手慣れてない)男の料理」を
食べさせられて
「お母さんのありがたみ」を
感じるような物かもしれません(笑)

これを僕自身は、
英語を使って、コーチングを学ぶという
体験を通して、実感しました。

そしてまた、英語でコミュニケーションをする
ことに、
自分がこれから表現していくこと
相手の話を真摯に聞くことに
対しての新しい感覚
・・・ちょうど左手でご飯を食べたり、
   字を書いたりするもどかしさと
   うまくなっていくのを実感する
   楽しさ
の楽しみを見いだし始めた感じがします。

私たちが、これまでの何十年か
慣れ親しみ使いこなしてきた
日本語の良さと、慣れによる言葉に対する雑さ
に気付くことができたら

自分の話すこと
相手の話を聞くことによって広がる世界は
より、素敵な物になるかもしれませんね。

Watch your watch.
(あなたの時計を見て!)

今はこのくらいしか思いつきませんが

そうですね、
英語でも、話し手の言葉遊びに
笑いでついて行けるようになること
ちょっとした目標です。

といってもいつも、
言葉のことばかり考えるのではなく
言葉の中身も大切だと考えることは
良い話にとって書くことはなしですね。

今日は、英語について書いてみましたが
表現する言葉は、なんであれ。
表現以上に伝わるのは、あなた自身の姿勢だ
ということも知っておくことは大切ですね。

そしてまた、
表現に惑わされず、
相手の姿勢や、真意を受け取る自分の姿勢も
また、大切だということ。

そう、話すときも聴くときも
Mind your mind!
ですね。

では。
posted by nlpfield at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | まさきの日記

2011年05月17日

なんだろうこの感覚・・・

おはようございます。

株式会社NLPフィールドの酒井です。


5月になると
風の感覚が心地よくなります。

みどりが生え、
うすいブルーのようなイメージの風が
その間をすり抜けていく。

そのふれあいの中から
とてもユニークな木々のダンスが生まれてきます。


今週のテーマは、「(こいのぼりが)なびいている感覚」です。


こいのぼりが風になびく感覚は、
自分のこだわりがなく
なにかと一つになっていくような感覚が浮かびます。

風は川の流れと同じように
一瞬たりとも同じモノはありません。


こいのぼりは、その風を避けることなく受け入れています。
しかし、そのままの風に流されてしまうと
遠くへ遠くへと飛んでしまうために
しっかりと何かに繋がれています。

そして、その場所を軸にしながら
風の吹くままに流れていきます。


そして、私たちは空を泳いでいるように見ています。

止まっているのに
移ろう風の中で動いているかのように感じているのです。


こんなことを考えていると
わたしのなかで何かが立ち上がりました。

今、忙しくしているけれど
動き回っているように思えるけれど
それはもしかしたら錯覚かもしれない、という感覚です。


なんだろう、この感覚は。

気持ちいいのだけれども、
同時に何か違和感のようなものも
感じます。。。


posted by nlpfield at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | さかいの日記

2011年05月16日

泳ぎ続けること、呼吸し続けること

マグロは、一生泳ぎ続けます。
泳ぎ続けないと、呼吸ができなくなります。

水の外にいて、何の気なしに
呼吸をしている・・・と思っている
私たち人間にとっては

「マグロさん、大変ですねぇ」とでも
言いたくなる気がします。

特に、泳ぎにあまり良い思い出がなかったり
あまり得意ではなかった人にとっては

「泳ぎ続ける?」もはや、アウトオブクエスチョンです。

ところが、もし、マグロの視点と、マグロの言葉が
分かるカメラがあったとしたら

彼らは、どんなことを言っているのでしょうか?

「人間さん、大変ですねぇ」わざわざ、鼻腔やら
喉の粘膜を通して、酸素に湿り気を与えてまで
どうして、水の外で呼吸するんですか?

「水の外で生き続ける?」もはや、アウトオブクエスチョンですね。

そもそも、身体の仕組みが、それぞれの
生態に合う形で成長しているのですから

互いの当たり前のところ、
それぞれの大変なところは

ある意味、それぞれが理解できないことは
想像の範囲かもしれませんね。

しかし、それぞれにまた、
当たり前にできることもたくさんあります。

どんな存在にも、もちろんどんな人にも
その人が、活きる場所や状況があります。

マグロが、大海原を勢いよく泳ぐように
どんな存在にも、勢いよく、悠々と泳ぐ
場面や状況があります。

その状況で、人間は、マグロのようには
泳ぐことはできませんし、
そもそも、大海原でマグロのように
泳ぐ必要もありません。

それぞれの人が、活きる場所が
必ずあること、そのことに気付いて
信じ続けることで、
誰もが、自分の存在を信じ、活かすことができる
場所と出会うことできそうです。

あなたが、もし、あなたの持てる力で
勢いよく泳ぐ必要ができたとしても
あなたが実践するだけでなく、
ときには、勢いよく泳ぐことが
得意な、たとえば、マグロの力を
借りることができると言うこと。

それを許すことができさえすれば
あなたは、周りの力を引き出せる
自分の力を何倍にも活かせる存在になれそうです。

まずは、
あなたが、一生泳ぎ続ける必要はなく
マグロが、地上で呼吸し続ける必要もないということ
適所に適材が配置できれば
それこそが、それぞれの力を
うまく活かす方法なんだと言うこと。

そこから、あなたの周りの人たちの
良いところ、行かせる場所を探し始めてみませんか?

もちろん、あなた自身の力を活かすのも
同じ方法でいいはずですから、
まずは、自分から始めるのも良いかもしれませんね。

今週も、ちょっとした探求から始めてみましょうか。

では。
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2011年05月13日

ふるさとの味


皆さん、こんにちは。Fumikoです。

今週のテーマは「ふるさと」ですね。


2週間ほど前に、いつも行く近くのスーパーマーケットの魚売り場に行って
びっくりしました。

「あっ! ちか がある!!」

隣にいた私の旦那さんが
「何、それ?」
「え? ちか って知らない?」
「聞いたこともないし、見たこともないし、食べたこともない。」
「!!!!!!」

私が、まだ北海道にいた頃
ちかは、よく我が家の食卓にのったお魚でした。

わかさぎに少し似ている小さな魚、というと
イメージが沸く方もいるかもしれませんね。

北海道の魚と言えば、ほっけや鮭がありますがが、
それらに比べると、存在は地味で味もずっと淡白なのですが
素朴でなんともいえない美味しさがあるのです。

そして、考えてみると、実家を出てからかれこれ20年近く
ちかを食べることがありませんでした。

パックの表示をみるとなんと「北海道産」と書いてあって
なおかつ「築地直送」。
10何匹も入っていてたったの240円です。

迷わず買って家に帰り、即、母に電話をしました。

念のため、どの食べ方が一番美味しいのかを聞きたかったのです。

母の助言に従って、魚の表面に小麦粉をさっとまぶし
からりと素揚げしたあとに、さっとお塩をひとふりだけしました。

からりと揚がった、表面の香ばしさと、中の身の
ふっくらとした食感となんともいえない、上品な甘さが
口いっぱいに拡がって、思わず夫婦二人で揃って

「美味しい〜〜〜!!」

と声をあげてしまいました。

見るもの、聴くものなど、五感は全て記憶とつながっていますが
とくに味覚は、ふるさとの思い出と直結しているのだなあと
改めて思いました。

私が久々に揚げた、ちかの味は、たぶん昔母が作ってくれた料理には
比べものにならないものだったと思うのですが、
それでも、かつて父と母とともに食卓を囲んだときの
光景がありありと蘇ってきました。

考えてみると、このブログを書いている三人の仲間全員が
地方都市出身だということに改めて気がつきました。

三人それぞれに「ふるさとの味」を持っているのでしょうね。

思わぬことから、ふるさとに触れることができた瞬間でした。

posted by nlpfield at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ふみこの日記

2011年05月10日

心の居場所はどこにありますか?

おはようございます。

(株)NLPフィールドの酒井です。


GW明けですね。
GWは、田舎やふるさとに帰られた方も
多かったのではありませんか?

今日のテーマは「ふるさと」です。


私も小さい頃は、夏休みになれば田舎に行っていました。

私はその当時は神戸生まれの神戸育ちだったので
親のふるさとである福井県に帰ることが多かったです。


私には妹がいます。1才下の年子でした。
そのため、母親が出産準備や子育てなどにかかりっきりでしたので
ほぼ母方の祖母に育ててもらいました。



そのせいか、おばあちゃんは
なぜだか心の安らぎになりました。

一方、おじいちゃんは子どもであろうとなかろうと
叱るタイプだったので、とても怖かったことを覚えています。


おじいちゃんのことを思い出すと心は引きますが
おばあちゃんのことを思い出すと心は惹かれました。


私は子供の頃、とても電車が好きでした。
線路が神戸と福井県をつなげていることに
想いをはせることもありました。

田舎に行けば
夏は、スイカをお腹一杯食べさせてくれたり、
せみとりや海水浴などいろんなところに
家族ともども行くことができたこともあります。


冬になると雪の階段を作ったり
雪だるまを作ったりと
楽しい思い出ばかりがよみがえります。


ある方がこんな話をしてくれました。

親は教育や社会的な人間に育てるために
ある程度厳しいことを言わなくてはいけない。
だけれども祖父母の役割は孫に対して
無条件の愛を注ぐことだ。

それを言われると確かに
私の家系ではその役割を果たしてくれていたように
想います。
(おじいちゃんはやや例外のときがありましたが)


そして、私の経験の中で
絶対的な安心感を手に入れさせてくれた
関わりをしてくれたことは
私のおばあちゃんがくれた大切なギフトでした。


だから、福井という土地以上に
おばあちゃんという存在やその関係性こそが
私にとって「ふるさと」であり
心の居場所のようになっています。


ふるさとは、あなたに何を与えてくれていますか?
そして、あなたはそこから得たものを
どのように渡していますか?



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