「ふるさとは遠くにありて思ふもの」
金沢出身の詩人
室生犀星の「小景異情(その二)」の
詩の出だしです。
犀星は子供の頃
ちょうど僕の小学校の校区にある
(金沢では校下といいます。)
寺院で育ちました。
その縁からか、卒業した小学校の
校歌の作詞は彼の物です。
この詩の全文は
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
一旦志を持って
都に出たならば、
どんな困難があったとしても
困難な状況になったとしても
帰っちゃいけないんだよなぁ
そんなときに
孤独を感じて
ふるさとに帰りたい・・・
でも、(志半ばであれば)
都に戻らなくちゃ
そんな、葛藤を描いているようです。
明治から大正に掛けての時代
金沢と東京は
距離や時間だけでなく、
気持ちの面でも遠かったのかもしれません。
そのあたりは、現代と少し
事情が違うのかもしれません。
僕自身も金沢を故郷としています。
でも、帰ろうと思えば
飛行機もあれば
列車もある。
高速バスを使えばお安くも買えることが出来る
あるいは、いつでも
電話が出来る。
場合によっては、Skypeも・・・
その意味では、
物理的に故郷はいつも近くにあって
もしかすると
その存在に甘えることが出来ているのかも
しれません。
それ故に
僕の中にある感覚
「あ、どこでも、それなりに
住めるなぁ」
・・・自然に、“住めば、都”になってる。
そう思えています。
それもこれも、
僕にとって、ふるさとは
特別にならないくらいに
いつも近くにあって
思い出す必要がないくらいに
自然に、そこにある。
いつでも、帰ることを許してくれている
だから、安心して、
ふるさとを忘れていられる。
そんな気がします。
わざわざ、意識しなくて良いということは
もしかすると
幸せなことかもしれません。
空気みたいに、水みたいに
そこにある。
当たり前にある。
全く、贅沢者ですね(笑)
せっかく今回、「ふるさと」と
テーマに書いてみました。
意識して考える機会になったのですから、
近々また、実家に連絡でも
入れてみようかな。
そう思います。
昨日は母の日でした。
来月は父の日があります。
こんな機会に、ふるさとに実家のある方は
連絡をしてみるのも良いかもしれませんね。
このブログを目にしていたとしたら
そのタイミングだったのかもしれませんよ。
偶然も必然ですから。
ぜひ。
では。
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2011年05月09日
2011年05月06日
誕生から与えられた贈り物とは?
みなさん、こんにちは。Fumikoです。
今週のテーマは「誕生」ですね。
皆さん、この世に生まれてきたときのことを覚えていますか?
半年前に知人が貸してくれた本がきっかけで
出会い、今も現在私を魅了して止まない
精神科医の故エリザベス・キューブラー・ロスは
1926年にスイスのチューリヒで三つ子の長女として生まれました。
そのときの体重はわずか900グラム(!)で
絶対に生きられないと言われていたそうです。
そして、当時、三つ子で生まれたことの悲劇を
自叙伝の中で非常にユニークに綴っています。
あまりにも三人がそっくりで、親でもしょっちゅう
見分けがつかなかったこと。
そして三人ともいつもお揃いの洋服を着させられ、
同じおもちゃを与えられていたこと。
学校に上がっても、先生たちも三人の区別がつかないので
いつも全員が同じ平均値であるCという成績を与えられていたこと。
そして圧巻は、妹が初めて同級生とデートをすることになった
当日の朝、高熱を出してしまい、キャンセルすることで
二人の仲が壊れてしまうのを恐れた妹に代わって、
姉であるエリザベスがこっそり代理(?)でデートに行くのですが
相手の男性が最後まで気がつかなかった(!)という
信じられないようなエピソードが描かれています。
この誕生にまつわる彼女の境遇と幼年時代の環境が
エリザベスにもたらした最大の贈りものは何だったと思いますか?
それは
「私とは一体誰なのか?」
という自己のアイデンテティを探求する
精神だったのです。
その精神は、その後彼女の運命を開いていく鍵となり
70余年という彼女の生涯を通じて彼女を支えていきます。
私たちも、エリザベスほどの、衝撃的なものでないにせよ、
誕生にまつわる何かが、私たちの無意識に入り込み、
自分でも気がつかないうちにその後の人生を
左右していることがあるかもしれません。
自分の誕生にまつわるエピソード、
もしそれが可能であれば、ご両親や周囲の人から
聞いてみてはいかがでしょうか?
思いもかけない、新たなアイデンテティの発見があるかもしれません。
今週のテーマは「誕生」ですね。
皆さん、この世に生まれてきたときのことを覚えていますか?
半年前に知人が貸してくれた本がきっかけで
出会い、今も現在私を魅了して止まない
精神科医の故エリザベス・キューブラー・ロスは
1926年にスイスのチューリヒで三つ子の長女として生まれました。
そのときの体重はわずか900グラム(!)で
絶対に生きられないと言われていたそうです。
そして、当時、三つ子で生まれたことの悲劇を
自叙伝の中で非常にユニークに綴っています。
あまりにも三人がそっくりで、親でもしょっちゅう
見分けがつかなかったこと。
そして三人ともいつもお揃いの洋服を着させられ、
同じおもちゃを与えられていたこと。
学校に上がっても、先生たちも三人の区別がつかないので
いつも全員が同じ平均値であるCという成績を与えられていたこと。
そして圧巻は、妹が初めて同級生とデートをすることになった
当日の朝、高熱を出してしまい、キャンセルすることで
二人の仲が壊れてしまうのを恐れた妹に代わって、
姉であるエリザベスがこっそり代理(?)でデートに行くのですが
相手の男性が最後まで気がつかなかった(!)という
信じられないようなエピソードが描かれています。
この誕生にまつわる彼女の境遇と幼年時代の環境が
エリザベスにもたらした最大の贈りものは何だったと思いますか?
それは
「私とは一体誰なのか?」
という自己のアイデンテティを探求する
精神だったのです。
その精神は、その後彼女の運命を開いていく鍵となり
70余年という彼女の生涯を通じて彼女を支えていきます。
私たちも、エリザベスほどの、衝撃的なものでないにせよ、
誕生にまつわる何かが、私たちの無意識に入り込み、
自分でも気がつかないうちにその後の人生を
左右していることがあるかもしれません。
自分の誕生にまつわるエピソード、
もしそれが可能であれば、ご両親や周囲の人から
聞いてみてはいかがでしょうか?
思いもかけない、新たなアイデンテティの発見があるかもしれません。
2011年05月03日
希望を感じること 生きること
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
5月は、草木が芽吹き、これまでにない
鮮やかな緑色の饗宴(競演)をしてくれます。
視覚で人生を楽しむことの多い私としては
この季節が命のエネルギーを感じる
とても好きな時期です。
そして、私たちにも
この世界に命を芽吹かせたときがありました。
今週のテーマは「誕生日」です。
誕生日は、皆さんどんな想い出がありますか?
私は、小さい頃から自分と人を比べるクセが
ひどく、そして、自分が恵まれていないと考えることが
非常に多かったのです。
そのため、人の誕生日でお祝いされているのと
自分の誕生日でお祝いされるのを比較して
自分の誕生日や料理が少ない、
来てくれる友達が少ない
プレゼントが豪華じゃない
など、せっかく祝ってもらっているのに
嬉しくもなんとも無かったのです。
また、同時に人からお祝いされることが
何だかとても恥ずかしくて
人から素直におめでとう!という言葉を
受け取ることができませんでした。
今思うと、とても心が荒んでいたように想います。
また、私自身彼女と付き合うときと
自分の誕生日との重なりが少なく
それ以降も、自分の生を心からお祝いされた経験が
少なかったのです。
もちろん、大人になれば、
もう誕生日など誰もお祝いしてくれなくなります。
そのため
自分にとって誕生日というのは
イベントの中でもさほど重要なことではありませんでした。
しかし、
会社を辞めてから出会った二つの出来事から
誕生日の捉え方が大きく変わってきました。
一つ目が
(株)ピークパフォーマンスの
アドバンスコースUで見たDVDでした。
そのDVDは「居酒屋甲子園」だったのですが
そこでスタッフたちが、自分たちのお店を
どんな想いでやっているのかが語られていました。
その中でも女性のスタッフが
親にずっと反抗してきた姿がありました。
私自身も親に反抗してきたので
彼女の気持ちがよくわかったのです。
その中で彼女は、
ずっと反抗してきたけれども
その私を迎えてくれた親の存在に気づいたそうです。
そして
自分を生んだとき
もっとも痛い思いをしたのはお母さんだったんだ、
と気づいたんです。
自分の命をこの世界に迎えるために
どれだけ痛い思いをしても
最後は笑顔でこの世界に迎えてくれた。
私の誕生日は私が祝ってもらうよりも
私からお母さんに生んでくれてありがとう!
って伝えます。
というメッセージがありました。
今まで祝ってもらうことばかり考えていた
私にとって
誕生日は私が両親を祝うことの方が
大切な日だということを
そのDVDを通して教えられました。
もう一つは
自分が入院して、
このまま同じような症状が続いて
いつか腸がなくなって
栄養剤だけで命をつながなければならない
状況になったときに
本気でこの先、死ぬかもしれないと
思ったときです。
暗闇にさまよいました。
深い恐怖に教われました。
どこにも出口がなかったのです。
そして、その時に
自分の頭では
何でこの世界にやってきたんだ。
このまま、死んで何が残るんだ。
そんな考えがよぎりました。
でも、答えが出ることもなく
依然として真っ暗な世界のままだったのです。
だれも手を差し伸べてくれることの無い世界。
そこから、小さな小さな光が見えてきたのです。
小さいけれども強烈な光でした。
私は、その光を頼りにその方向へと進んでいきました。
その光こそが私の希望だと想いました。
その時初めて、人は「希望」があるからこそ
生きていけるんだ、と強く感じたのです。
まさに、私にとって誕生日とは
これから生きていく「希望」を感じる日になりました。
そして、誕生日は
私たちがまだそこに命があり
その存在を自分で認める日でした。
NLPのコースの中でも
誕生日にめぐり合わせた方は
私たちからもお祝いをさせてもらっています。
それは、この人生で
奇跡的に出会えたこと、
そして、その存在をお互い認め合っていること
希望という光に向かって
この世界に歓迎された命だからです。
あなたにとって
誕生日とはどんな日ですか?
(株)NLPフィールドの酒井です。
5月は、草木が芽吹き、これまでにない
鮮やかな緑色の饗宴(競演)をしてくれます。
視覚で人生を楽しむことの多い私としては
この季節が命のエネルギーを感じる
とても好きな時期です。
そして、私たちにも
この世界に命を芽吹かせたときがありました。
今週のテーマは「誕生日」です。
誕生日は、皆さんどんな想い出がありますか?
私は、小さい頃から自分と人を比べるクセが
ひどく、そして、自分が恵まれていないと考えることが
非常に多かったのです。
そのため、人の誕生日でお祝いされているのと
自分の誕生日でお祝いされるのを比較して
自分の誕生日や料理が少ない、
来てくれる友達が少ない
プレゼントが豪華じゃない
など、せっかく祝ってもらっているのに
嬉しくもなんとも無かったのです。
また、同時に人からお祝いされることが
何だかとても恥ずかしくて
人から素直におめでとう!という言葉を
受け取ることができませんでした。
今思うと、とても心が荒んでいたように想います。
また、私自身彼女と付き合うときと
自分の誕生日との重なりが少なく
それ以降も、自分の生を心からお祝いされた経験が
少なかったのです。
もちろん、大人になれば、
もう誕生日など誰もお祝いしてくれなくなります。
そのため
自分にとって誕生日というのは
イベントの中でもさほど重要なことではありませんでした。
しかし、
会社を辞めてから出会った二つの出来事から
誕生日の捉え方が大きく変わってきました。
一つ目が
(株)ピークパフォーマンスの
アドバンスコースUで見たDVDでした。
そのDVDは「居酒屋甲子園」だったのですが
そこでスタッフたちが、自分たちのお店を
どんな想いでやっているのかが語られていました。
その中でも女性のスタッフが
親にずっと反抗してきた姿がありました。
私自身も親に反抗してきたので
彼女の気持ちがよくわかったのです。
その中で彼女は、
ずっと反抗してきたけれども
その私を迎えてくれた親の存在に気づいたそうです。
そして
自分を生んだとき
もっとも痛い思いをしたのはお母さんだったんだ、
と気づいたんです。
自分の命をこの世界に迎えるために
どれだけ痛い思いをしても
最後は笑顔でこの世界に迎えてくれた。
私の誕生日は私が祝ってもらうよりも
私からお母さんに生んでくれてありがとう!
って伝えます。
というメッセージがありました。
今まで祝ってもらうことばかり考えていた
私にとって
誕生日は私が両親を祝うことの方が
大切な日だということを
そのDVDを通して教えられました。
もう一つは
自分が入院して、
このまま同じような症状が続いて
いつか腸がなくなって
栄養剤だけで命をつながなければならない
状況になったときに
本気でこの先、死ぬかもしれないと
思ったときです。
暗闇にさまよいました。
深い恐怖に教われました。
どこにも出口がなかったのです。
そして、その時に
自分の頭では
何でこの世界にやってきたんだ。
このまま、死んで何が残るんだ。
そんな考えがよぎりました。
でも、答えが出ることもなく
依然として真っ暗な世界のままだったのです。
だれも手を差し伸べてくれることの無い世界。
そこから、小さな小さな光が見えてきたのです。
小さいけれども強烈な光でした。
私は、その光を頼りにその方向へと進んでいきました。
その光こそが私の希望だと想いました。
その時初めて、人は「希望」があるからこそ
生きていけるんだ、と強く感じたのです。
まさに、私にとって誕生日とは
これから生きていく「希望」を感じる日になりました。
そして、誕生日は
私たちがまだそこに命があり
その存在を自分で認める日でした。
NLPのコースの中でも
誕生日にめぐり合わせた方は
私たちからもお祝いをさせてもらっています。
それは、この人生で
奇跡的に出会えたこと、
そして、その存在をお互い認め合っていること
希望という光に向かって
この世界に歓迎された命だからです。
あなたにとって
誕生日とはどんな日ですか?
2011年04月26日
夢に向かって、旅をしてみよう!
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
この前、何かの記事に俳優の大沢たかおさんが
役作りの合間や後に普段生活しないところに
出かけることをしているという記事を読んだことがあります。
日常から非日常へ行くことで
わたしたちは、普段無意識に感じている何かから
解放されていくのでしょうね。
今週のテーマは「旅」です。
旅で思い出すのは、
私の小さい頃の夢のことです。
実家のテレビは小さなテレビで
その箱の中でとても煌びやかな世界が映っていました。
ハワイであったり、ラスベガスであったり、、、
日常生活には無い風景で
小さい頃の自分には憧れで
いつかあそこに行って観たいと思ったものです。
しかし、高校を卒業するまでは
飛行機に乗ることもなく
車か電車で行けるところに行くのが
私の当時の行動範囲でした。
私は、大学に入ると
親孝行しようとゴルフのサークルに入りました。
このゴルフサークルが
おぼっちゃまの集まりで
自分たちの車はもっているし、
(それもスポーツカーやベンツ)
海外旅行も普通に会話で出てくるような人たちでした。
私は、おそらく田舎から東京に出てきた人のように
この人たちの会話がまぶしく聞こえました。
そして、小さい頃見た夢を思い出したのです。
一度でいいから海外にいってみたい。。。
そんな話をしていると
先輩から、みんなでハワイにいこうじゃないか、
と提案してもらったのです。
男8名でのはじめてのハワイ旅行。
私は、バイトにあけくれ
初めて海外に行ける喜びを感じていました。
飛行機の道中、
ミルクティーを頼んだら
レモンティーが出てくるなど
英語が拙いことを痛感させられるエピソードも
ありましたが、
何より、
初めて一人でハワイの海岸のサンセットを
みたときのことは昨日のように想い出せます。
NLPでアンカリングという実習があるのですが
私が始めてアンカーした光景が
まさにこのサンセットの光景でした。
目の前の大きく広がる海。
波は、規則的にゆったりと打ち寄せては引いていきます。
白い砂浜が徐々にオレンジ色になっていき
目の前の太陽が大きく真っ赤に燃えて揺れ始めます。
その光が波間にきらめき
小さな子どもたちの感嘆の声
カップルたちが片寄せあう姿がシルエットで
目に入ってきます。
柔らかに包み込む風。
頬や腕の辺りを通るさらさらとした肌触り。
私の内側からも何かがこみ上げてくるのを
感じています。
それから、大学時代には
宿泊先を決めずに
アメリカの主要都市の横断したりもしました。
(ここでも面白いエピソードがあるのですが
それは後日に。)
NLPでお伝えしているのは
体験は財産である、
ということです。
もし、今躊躇していることがあったり
夢ややりたいことがあっても一歩を踏み出せないとき
ぜひ体験してみてください。
いつしか非日常の世界が日常の世界になっていきます。
きっとそののちの人生の大きな財産になってきます。
今は、私は当時の
夢や憧れのその先を
旅しているのかもしれません。
独立してから
いつも未知の世界ばかりです。
あなたは、どんな旅をしてみたいですか?
どんな旅をもう既に続けているのですか?
(株)NLPフィールドの酒井です。
この前、何かの記事に俳優の大沢たかおさんが
役作りの合間や後に普段生活しないところに
出かけることをしているという記事を読んだことがあります。
日常から非日常へ行くことで
わたしたちは、普段無意識に感じている何かから
解放されていくのでしょうね。
今週のテーマは「旅」です。
旅で思い出すのは、
私の小さい頃の夢のことです。
実家のテレビは小さなテレビで
その箱の中でとても煌びやかな世界が映っていました。
ハワイであったり、ラスベガスであったり、、、
日常生活には無い風景で
小さい頃の自分には憧れで
いつかあそこに行って観たいと思ったものです。
しかし、高校を卒業するまでは
飛行機に乗ることもなく
車か電車で行けるところに行くのが
私の当時の行動範囲でした。
私は、大学に入ると
親孝行しようとゴルフのサークルに入りました。
このゴルフサークルが
おぼっちゃまの集まりで
自分たちの車はもっているし、
(それもスポーツカーやベンツ)
海外旅行も普通に会話で出てくるような人たちでした。
私は、おそらく田舎から東京に出てきた人のように
この人たちの会話がまぶしく聞こえました。
そして、小さい頃見た夢を思い出したのです。
一度でいいから海外にいってみたい。。。
そんな話をしていると
先輩から、みんなでハワイにいこうじゃないか、
と提案してもらったのです。
男8名でのはじめてのハワイ旅行。
私は、バイトにあけくれ
初めて海外に行ける喜びを感じていました。
飛行機の道中、
ミルクティーを頼んだら
レモンティーが出てくるなど
英語が拙いことを痛感させられるエピソードも
ありましたが、
何より、
初めて一人でハワイの海岸のサンセットを
みたときのことは昨日のように想い出せます。
NLPでアンカリングという実習があるのですが
私が始めてアンカーした光景が
まさにこのサンセットの光景でした。
目の前の大きく広がる海。
波は、規則的にゆったりと打ち寄せては引いていきます。
白い砂浜が徐々にオレンジ色になっていき
目の前の太陽が大きく真っ赤に燃えて揺れ始めます。
その光が波間にきらめき
小さな子どもたちの感嘆の声
カップルたちが片寄せあう姿がシルエットで
目に入ってきます。
柔らかに包み込む風。
頬や腕の辺りを通るさらさらとした肌触り。
私の内側からも何かがこみ上げてくるのを
感じています。
それから、大学時代には
宿泊先を決めずに
アメリカの主要都市の横断したりもしました。
(ここでも面白いエピソードがあるのですが
それは後日に。)
NLPでお伝えしているのは
体験は財産である、
ということです。
もし、今躊躇していることがあったり
夢ややりたいことがあっても一歩を踏み出せないとき
ぜひ体験してみてください。
いつしか非日常の世界が日常の世界になっていきます。
きっとそののちの人生の大きな財産になってきます。
今は、私は当時の
夢や憧れのその先を
旅しているのかもしれません。
独立してから
いつも未知の世界ばかりです。
あなたは、どんな旅をしてみたいですか?
どんな旅をもう既に続けているのですか?
2011年04月25日
苦しいからこそ、楽しむことが出来る。(旅の醍醐味?)
「わすれものない?、大丈夫?」
この言葉で、
旅先で
「やっちまった、忘れ物!」
と言う自分を想像して
しまうこと。
皆さんにはありませんか?
ぼくにはあります。
どんなに入念にチェックしようと
もしくは、入念にチェックすればするほど
その「忘れ物予想」は
実はそんなに的中していないけれど
出発前の僕を苦しめたりします。
さてさて、今から考えれば
僕は一体、苦しむために旅行を
はじめるのか?
そんな風に笑ってしまいます。
今でこそ、子供の頃と違って
手元に少々のお金を持っていたり
電子マネーや、クレジットカードが
あるので、
「現地調達」が出来るという
安心感があります。
すると、旅そのものは気楽な物になります。
今、日曜日に
テレビドラマ「仁-JIN-」を
放映していますが、
ドラマの舞台である江戸時代
旅は、一般なものに
なりつつはあった物の
まだまだ、
出発前に水杯を交わして
一応のお別れをするような
物だったようです。
それでも、多くの人が
商売のためであったり
志と遂げんが為であったり
あるいは隠密、俳句
仇討ち・・・時代劇見過ぎですね?
いずれにしても、
生死をかけて自分が得たい結果のために
「旅」を選択していました。
そして、旅そのものが
命をかけた物であった
だからこそ、途中の旅路を満喫したり
宿場で時には羽目を外すことも
必要だったのかもしれません。
必死さへのエネルギーは
仕事、旅路だけではつかいきれない!
といったところでしょうか。
もしも、私たちの人生を
旅に喩えるならば、
私たちは、この旅路に掛けるのは
どんな思いなのでしょうか?
どんな思いに、必死になるんでしょうか?
・・・ときには、思いをはせる
それもいいですね。
そうすることが出来たら、
江戸時代に命をかけて「旅」に出かけた旅人のように
目的のためにスイッチを入れた
「必死さ、真摯さ」のエネルギーを
きっと、
仕事、ビジョンや目的だけでなく
人生全体に、自分の事、家族のこと
趣味のこと、生活の質のことにも
エネルギッシュに取り組めるに違いありません。
人はその意味では、それほど器用ではない
のかもしれません。
一度やる気に火が付いたら
ターゲットは何であれ、やる気だしてでやっちゃう
そんな存在だと信じています。
もし、今、自分が熱中できていることが
あるならば、自分の人生の旅の
他の分野にも、その熱中力(?)の
お裾分けが出来そうです。
試してみてください。
・・・・出張で、
すすきのや、歌舞伎町
栄や、祇園、ミナミ、天神
(詳しくないのでこれくらいで・・)
で出張後大暴れされている皆さん。
きっと、その爆発力と同じくらいの
エネルギーを、仕事に割いていたこと
きっと気づくと思いますよ。
しっかり遊べていれば、きっと、
しっかり仕事も出来ているはずです。
きっと、そう、きっと。
では、また次回。
ブログ「だれもが幸せ体質になっていいんだ!」
こちらもご覧下さいね。
この言葉で、
旅先で
「やっちまった、忘れ物!」
と言う自分を想像して
しまうこと。
皆さんにはありませんか?
ぼくにはあります。
どんなに入念にチェックしようと
もしくは、入念にチェックすればするほど
その「忘れ物予想」は
実はそんなに的中していないけれど
出発前の僕を苦しめたりします。
さてさて、今から考えれば
僕は一体、苦しむために旅行を
はじめるのか?
そんな風に笑ってしまいます。
今でこそ、子供の頃と違って
手元に少々のお金を持っていたり
電子マネーや、クレジットカードが
あるので、
「現地調達」が出来るという
安心感があります。
すると、旅そのものは気楽な物になります。
今、日曜日に
テレビドラマ「仁-JIN-」を
放映していますが、
ドラマの舞台である江戸時代
旅は、一般なものに
なりつつはあった物の
まだまだ、
出発前に水杯を交わして
一応のお別れをするような
物だったようです。
それでも、多くの人が
商売のためであったり
志と遂げんが為であったり
あるいは隠密、俳句
仇討ち・・・時代劇見過ぎですね?
いずれにしても、
生死をかけて自分が得たい結果のために
「旅」を選択していました。
そして、旅そのものが
命をかけた物であった
だからこそ、途中の旅路を満喫したり
宿場で時には羽目を外すことも
必要だったのかもしれません。
必死さへのエネルギーは
仕事、旅路だけではつかいきれない!
といったところでしょうか。
もしも、私たちの人生を
旅に喩えるならば、
私たちは、この旅路に掛けるのは
どんな思いなのでしょうか?
どんな思いに、必死になるんでしょうか?
・・・ときには、思いをはせる
それもいいですね。
そうすることが出来たら、
江戸時代に命をかけて「旅」に出かけた旅人のように
目的のためにスイッチを入れた
「必死さ、真摯さ」のエネルギーを
きっと、
仕事、ビジョンや目的だけでなく
人生全体に、自分の事、家族のこと
趣味のこと、生活の質のことにも
エネルギッシュに取り組めるに違いありません。
人はその意味では、それほど器用ではない
のかもしれません。
一度やる気に火が付いたら
ターゲットは何であれ、やる気だしてでやっちゃう
そんな存在だと信じています。
もし、今、自分が熱中できていることが
あるならば、自分の人生の旅の
他の分野にも、その熱中力(?)の
お裾分けが出来そうです。
試してみてください。
・・・・出張で、
すすきのや、歌舞伎町
栄や、祇園、ミナミ、天神
(詳しくないのでこれくらいで・・)
で出張後大暴れされている皆さん。
きっと、その爆発力と同じくらいの
エネルギーを、仕事に割いていたこと
きっと気づくと思いますよ。
しっかり遊べていれば、きっと、
しっかり仕事も出来ているはずです。
きっと、そう、きっと。
では、また次回。
ブログ「だれもが幸せ体質になっていいんだ!」
こちらもご覧下さいね。
2011年04月22日
私の欠落時代
みなさん、こんにちは。Fumikoです。
今週のテーマは「新入社員」。
この言葉を聞いたときに最初に立ち上がってきたのは
「私には新入社員時代はなかったなあ」という思いです。
いわゆる、自分の人生においての喪失感、もしくは
欠落感と結びついているのです。
私は、高校2年生の時に出会った
1歳年上の恋人からの影響も手伝って、
それまでの既成の価値観や、親からの期待、そして
多くの人たちが何の迷いもなくいいと思っている
常識的なことがらに対して、
全てを否定的に見るようになっていました。
それは、とりもなおさず学歴重視の社会への疑問、
一流会社への就職の偏重に対する
アレルギーといってもいいほどの拒絶反応になり、
さまざまな紆余曲折を経たあとに
マスコミの世界へ入ろうと思った私に用意されていたのが
北海道放送局の“契約社員”という道だったのです。
いわゆる正社員とは違う身分だったゆえに
真新しいスーツに身を包んでの入社式や、
新入社員研修もありませんでした。
また、放送業界というある意味特殊な業界だったことも手伝って
何か自分には「新入社員」という時代が欠落した感じがあり
その頃から(?)人とは違うステップを歩み始めたような気がするのです。
その後、私がどのような人生を送ることになっていったかは
また別の機会をお楽しみに!
2011年04月19日
私のトラウマ的な思い出
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
今、私は新入社員研修の真っ只中です。
比較的大企業が多いせいか、
皆さん優秀で
この経済状況下で
さすがに勝ち残ってきただけあるな、
と感じます。
受け継ぐものでお話しましたが
彼らもまた、自分の所属する会社で
ストーリーを受け継いでいくのでしょうね。
今週のテーマは「新入社員」です。
新入社員のとき
あなたはどんな動機で会社に向かいましたか?
今も、その想いをお持ちですか?
私のときの新入社員時代は
普通の人と少し違う形で始まりました。
私は、大学時代から
比較的親の期待に応えようと生きてきたところがあります。
しかし、大学受験に失敗してから
自分では少し自暴自棄になっていたところもありました。
そして、大学を卒業して
会社に入るときに
私は一冊の本に出会います。
「自分のための人生」
就職活動は、初めて社会人というこれまでとは
違う世界に飛び立ちます。
そして、
自分が何者なのか、何をしてきたのか
就職活動を通して振り返る時期でもありました。
私はその時愕然としました。
自分には何もない。
期待に応えるために生きてきたけど
自分は自分に何を期待していたのだろう。
何もない自分が惨めでなりませんでした。
そんなときに
「自分のための人生」を読んで
これからは自分が誰の期待でもなく
生きたい人生を生きよう!そう決めることができたのです。
親は大企業を薦めますが、
私は、自分が就職活動を通じて
自分の人生を見つめ直したことが
とてもインパクトがありました。
そこで、就職をもっと自分を成長する機会として
捉えるような支援をしたいと想い、
当時、まだ50名ほどの
(株)インテイリジェンスに入ることになりました。
この会社は、当時の宇野社長も20代後半で
社員もとても若いサークルのようなノリの会社でした。
私は、スタートダッシュが重要と思い、
大学4年生からここでバイトをすることにしました。
そして、学びました。
この会社がハードなことを。
毎晩、みんな深夜まで働き、
夜はハンバーガーだけで
仕事をしています。
当時は、まだベンチャー企業だったため
みんな全力疾走だったのです。
私も、先輩の営業同行や資料作成をしたり
終盤には一人で飛び込み営業などもやってみたりしました。
情熱だけではなんともならないと
感じました。
まだ学生というアイデンティティで
ビジネスパーソンのアイデンティティが育っていなかった
こともあるでしょう。
まずは会社名はそれほど知られていないので
そこから説明をしなければなりません。
断り続けられると、だんだんと
自分がこの世界で生きていけるのか、
役に立つ人間なのかと悩み始めました。
一緒に働いていた同期入社組みも同じで、
仲の良かった人は、入社前に会社に入るのを
辞退するものまででてきました。
私も自分が会社のスピードについていけるのか
不安でした。
しかし、親に反対されても入社した手前
ここで引き下がるわけにも行かないし
尚且つ、就職浪人をすることなど
当時のプライドがゆるしませんでした。
そして、4月新入社員になりました。
入っていきなり、
携帯電話販売の代理店を始めるというので
その営業を任されます。
私の会社に入った動機は
就職活動を通して人生を見直す支援だったので
何でこんなことになるんだろう、と考え込むことも
ありました。
しかし、営業という仕事のよいトレーニングになると
想い、飛び込んでいきます。
当時は、まだ携帯電話が出始めた頃で
金額も非常に高く
携帯を持っているのは
中小企業の社長か、夜のお商売の方ぐらいでした。
そのため、私は
コーヒーショップで携帯を使っている人に声をかけたり
神奈川や千葉などのまだ未開拓の地域に営業に行ったり
深夜には、歌舞伎町のお店の中まで売りに行ったこと
もありました。
結果は、同期の中で2位。
がむしゃらにやることを覚えました。
今のみなさんは
研修制度が整い、初めから社会人として
さまざまなことを教えてもらってからの
スタートになります。
そういった意味では
本当に恵まれているように想います。
私はその後、どうなったか。。。
がむしゃらさはあいかわらずですが
数字のプレッシャーに押しつぶされて
うつっぽくなり、
この会社を辞めることになりました。
私にとっては
新しい社会人としての環境の中で
結果を出せなかったことは
トラウマのようになっていました。
その後も、自分が
この会社にいたことは
人に言いたくなかったですし
自分でも触れないようにしていました。
今後は、絶対にベンチャーには入らない、
と思っていたにもかかわらず、
こうして、今は自分が会社を経営している。
そして、自分の生きてきた道を
隠すことなく伝えることができるようになったこと。
NLPで人は、変われるんだな、、、と
しみじみと感じています。
(株)NLPフィールドの酒井です。
今、私は新入社員研修の真っ只中です。
比較的大企業が多いせいか、
皆さん優秀で
この経済状況下で
さすがに勝ち残ってきただけあるな、
と感じます。
受け継ぐものでお話しましたが
彼らもまた、自分の所属する会社で
ストーリーを受け継いでいくのでしょうね。
今週のテーマは「新入社員」です。
新入社員のとき
あなたはどんな動機で会社に向かいましたか?
今も、その想いをお持ちですか?
私のときの新入社員時代は
普通の人と少し違う形で始まりました。
私は、大学時代から
比較的親の期待に応えようと生きてきたところがあります。
しかし、大学受験に失敗してから
自分では少し自暴自棄になっていたところもありました。
そして、大学を卒業して
会社に入るときに
私は一冊の本に出会います。
「自分のための人生」
就職活動は、初めて社会人というこれまでとは
違う世界に飛び立ちます。
そして、
自分が何者なのか、何をしてきたのか
就職活動を通して振り返る時期でもありました。
私はその時愕然としました。
自分には何もない。
期待に応えるために生きてきたけど
自分は自分に何を期待していたのだろう。
何もない自分が惨めでなりませんでした。
そんなときに
「自分のための人生」を読んで
これからは自分が誰の期待でもなく
生きたい人生を生きよう!そう決めることができたのです。
親は大企業を薦めますが、
私は、自分が就職活動を通じて
自分の人生を見つめ直したことが
とてもインパクトがありました。
そこで、就職をもっと自分を成長する機会として
捉えるような支援をしたいと想い、
当時、まだ50名ほどの
(株)インテイリジェンスに入ることになりました。
この会社は、当時の宇野社長も20代後半で
社員もとても若いサークルのようなノリの会社でした。
私は、スタートダッシュが重要と思い、
大学4年生からここでバイトをすることにしました。
そして、学びました。
この会社がハードなことを。
毎晩、みんな深夜まで働き、
夜はハンバーガーだけで
仕事をしています。
当時は、まだベンチャー企業だったため
みんな全力疾走だったのです。
私も、先輩の営業同行や資料作成をしたり
終盤には一人で飛び込み営業などもやってみたりしました。
情熱だけではなんともならないと
感じました。
まだ学生というアイデンティティで
ビジネスパーソンのアイデンティティが育っていなかった
こともあるでしょう。
まずは会社名はそれほど知られていないので
そこから説明をしなければなりません。
断り続けられると、だんだんと
自分がこの世界で生きていけるのか、
役に立つ人間なのかと悩み始めました。
一緒に働いていた同期入社組みも同じで、
仲の良かった人は、入社前に会社に入るのを
辞退するものまででてきました。
私も自分が会社のスピードについていけるのか
不安でした。
しかし、親に反対されても入社した手前
ここで引き下がるわけにも行かないし
尚且つ、就職浪人をすることなど
当時のプライドがゆるしませんでした。
そして、4月新入社員になりました。
入っていきなり、
携帯電話販売の代理店を始めるというので
その営業を任されます。
私の会社に入った動機は
就職活動を通して人生を見直す支援だったので
何でこんなことになるんだろう、と考え込むことも
ありました。
しかし、営業という仕事のよいトレーニングになると
想い、飛び込んでいきます。
当時は、まだ携帯電話が出始めた頃で
金額も非常に高く
携帯を持っているのは
中小企業の社長か、夜のお商売の方ぐらいでした。
そのため、私は
コーヒーショップで携帯を使っている人に声をかけたり
神奈川や千葉などのまだ未開拓の地域に営業に行ったり
深夜には、歌舞伎町のお店の中まで売りに行ったこと
もありました。
結果は、同期の中で2位。
がむしゃらにやることを覚えました。
今のみなさんは
研修制度が整い、初めから社会人として
さまざまなことを教えてもらってからの
スタートになります。
そういった意味では
本当に恵まれているように想います。
私はその後、どうなったか。。。
がむしゃらさはあいかわらずですが
数字のプレッシャーに押しつぶされて
うつっぽくなり、
この会社を辞めることになりました。
私にとっては
新しい社会人としての環境の中で
結果を出せなかったことは
トラウマのようになっていました。
その後も、自分が
この会社にいたことは
人に言いたくなかったですし
自分でも触れないようにしていました。
今後は、絶対にベンチャーには入らない、
と思っていたにもかかわらず、
こうして、今は自分が会社を経営している。
そして、自分の生きてきた道を
隠すことなく伝えることができるようになったこと。
NLPで人は、変われるんだな、、、と
しみじみと感じています。
2011年04月13日
自然の偉大な摂理
みなさん、こんにちは。Fumikoです.
今週のテーマは「季節」。。と思ったときに
ふと、こんな考えが頭をよぎりました。
“もし神様がいたとしたら、
どうして神様は、春夏秋冬という四季を作ったのだろう?”
ということです。
私は以前、春が一番好きだということを書きましたが、
もし12ヶ月ずーっと春だったら
今よりも嬉しく感じるのでしょうか?
もし、誰か秋が一番好きだとしたら、今月も、来月も、
再来月も、ずーっと来年も秋が続くとしたら、
その人は今以上に毎日がハッピーになるのでしょうか?
こう考えると、
一見当たり前に思っている、この四季の移り変わりが
とてもとても意味のあるものに思えてきます。
そして、この四季の移り変わりは
私たちの人生にも似ている面があるかもしれません。
例えば冬は寒くて凍てついているけれど、
決して何かが終わったわけではありません。
樹木はいずれ訪れる春が来る時まで
じっとエネルギーを貯めているのです。
私たちの今がどんな状態であっても、
そこにはやるべきことがあり意味があります。
そして必ず、次の“季節”つまり次の段階に移っていきます。
昨日と今日は同じではありません。
そして、明日は今日とはまた違う一日です。
自然の偉大な摂理に感謝し、
そしてその摂理の中で生きている私たち人間の存在を
少し不思議に感じた今日でした。
それではまた来週。
今週のテーマは「季節」。。と思ったときに
ふと、こんな考えが頭をよぎりました。
“もし神様がいたとしたら、
どうして神様は、春夏秋冬という四季を作ったのだろう?”
ということです。
私は以前、春が一番好きだということを書きましたが、
もし12ヶ月ずーっと春だったら
今よりも嬉しく感じるのでしょうか?
もし、誰か秋が一番好きだとしたら、今月も、来月も、
再来月も、ずーっと来年も秋が続くとしたら、
その人は今以上に毎日がハッピーになるのでしょうか?
こう考えると、
一見当たり前に思っている、この四季の移り変わりが
とてもとても意味のあるものに思えてきます。
そして、この四季の移り変わりは
私たちの人生にも似ている面があるかもしれません。
例えば冬は寒くて凍てついているけれど、
決して何かが終わったわけではありません。
樹木はいずれ訪れる春が来る時まで
じっとエネルギーを貯めているのです。
私たちの今がどんな状態であっても、
そこにはやるべきことがあり意味があります。
そして必ず、次の“季節”つまり次の段階に移っていきます。
昨日と今日は同じではありません。
そして、明日は今日とはまた違う一日です。
自然の偉大な摂理に感謝し、
そしてその摂理の中で生きている私たち人間の存在を
少し不思議に感じた今日でした。
それではまた来週。
2011年04月12日
4月から始まる新しい物語
おはようございます。
(株)NLPフィールドの酒井です。
今年も桜が咲く4月を迎えました。
今週のテーマは、「季節」です。
皆さんは、季節をどのように捉えていますか?
私は、健康面からすると
季節の変わり目は、
体調も外の環境と調和を図ろうと
調子を崩すことがあります。
そして、季節もまた冬と春の出会いの中で
押したり、引いたりと調整しているのでしょうね。
二つの季節が出会い、
混じり合うのが
今の季節ですね。
そして、4月は心理的には
新しいことに取り組むには
良い季節です。
こうした心理的な波を
効果的に使うことも
人生を豊かにする秘訣でもあります。
あなたは、この4月から何を始めますか?
そういえば、
桜でひとつ思い出した話があります。
私は、NLPを学ぶ前に
身体を壊しました。
今まで8度入院しています。
何度目かの入院を重ねて
会社で仕事をしていたとき
自分のセルフイメージは
「ポンコツ車」でした。
修理しては直し
修理しては直し、
なんとか走っているような状態です。
いつまた悪くなるのやら
びくびくしていました。
このセルフイメージというのは
深層心理の中に抱いているもので
人は長い年月を積重ねて
自分は何者かということを形成しているので
なかなか変わりにくいものです。
そしてまた、世界があなたに与えてくれるものを
受け取れるかどうかもこのセルフイメージに
関わっています。
宝くじがあたってもすぐに使って
宝くじに当たる前よりも悲惨な状況になる人
ダイエットをするけれども
すぐに元に戻ってしまう人
これらは、深層のセルフイメージが
変わっていないので
環境を変えても
自分の内的な力で元の状態に戻してしまうと
言われています。
しかし、私はNLPを学んで
自分のセルフイメージを書き換えることが
できました。
その発見はとてもとても大きなものでした。
そのセルフイメージがどう変わったかと
いうと
「桜」のイメージになったのです。
そして、この桜のイメージは
私の深いところから
私の人生を変えることになりました。
今、こうして会社を経営しているのも
ポンコツの車のセルフイメージでは
為しえなかったことです。
では、この桜からどんなストーリーが
生まれてきたのか?
それは、またNLP1dayか
本コースの中でお話したいと想います。
あなたにとって素敵なスタートを
切れますように・・・
(株)NLPフィールドの酒井です。
今年も桜が咲く4月を迎えました。
今週のテーマは、「季節」です。
皆さんは、季節をどのように捉えていますか?
私は、健康面からすると
季節の変わり目は、
体調も外の環境と調和を図ろうと
調子を崩すことがあります。
そして、季節もまた冬と春の出会いの中で
押したり、引いたりと調整しているのでしょうね。
二つの季節が出会い、
混じり合うのが
今の季節ですね。
そして、4月は心理的には
新しいことに取り組むには
良い季節です。
こうした心理的な波を
効果的に使うことも
人生を豊かにする秘訣でもあります。
あなたは、この4月から何を始めますか?
そういえば、
桜でひとつ思い出した話があります。
私は、NLPを学ぶ前に
身体を壊しました。
今まで8度入院しています。
何度目かの入院を重ねて
会社で仕事をしていたとき
自分のセルフイメージは
「ポンコツ車」でした。
修理しては直し
修理しては直し、
なんとか走っているような状態です。
いつまた悪くなるのやら
びくびくしていました。
このセルフイメージというのは
深層心理の中に抱いているもので
人は長い年月を積重ねて
自分は何者かということを形成しているので
なかなか変わりにくいものです。
そしてまた、世界があなたに与えてくれるものを
受け取れるかどうかもこのセルフイメージに
関わっています。
宝くじがあたってもすぐに使って
宝くじに当たる前よりも悲惨な状況になる人
ダイエットをするけれども
すぐに元に戻ってしまう人
これらは、深層のセルフイメージが
変わっていないので
環境を変えても
自分の内的な力で元の状態に戻してしまうと
言われています。
しかし、私はNLPを学んで
自分のセルフイメージを書き換えることが
できました。
その発見はとてもとても大きなものでした。
そのセルフイメージがどう変わったかと
いうと
「桜」のイメージになったのです。
そして、この桜のイメージは
私の深いところから
私の人生を変えることになりました。
今、こうして会社を経営しているのも
ポンコツの車のセルフイメージでは
為しえなかったことです。
では、この桜からどんなストーリーが
生まれてきたのか?
それは、またNLP1dayか
本コースの中でお話したいと想います。
あなたにとって素敵なスタートを
切れますように・・・
2011年04月11日
ときにはなすがまま、あるがまま。
今、一年中トマトが食べられます。
果物も
そういえば、いつでも食べられます。
今、「春」を感じるには
テレビ番組や、雑誌、メディア
商品パッケージ
そんなところから「春」を
感じることも少なくありません。
それでも、私たちは
「春は春らしくあって欲しい」し、
「夏は夏らしく、秋も、冬もそうであって欲しい」と
少なからず思っています。
日本に住んでいれば、
四季の変化は、文化だけでなく
生き物としての生活リズムにも
深く関わっているんだなと
思います。
そして、その変化は、
地球が誕生してから生み出してきた
何十億年というリズムの中の、
(おおっ大きく出ましたね)
ほんの小さな数ヶ月単位の
変化なのですよね。
そして、今、その変化を
「自分たちで分からなくして、
自分たちで確認している」
のかもしれません。
さらに、自分たちの力や
地球への影響力を
やっと今、気にし初めてもいます。
環境に関するここ十数年の動きは
「私たちが地球を守る」という愛“地球”心と
でも言えるかもしれません。
その意味では
私たちはこれまで、
「地球の寛容さ」に甘えてきたのかもしれません
そして、
「地球の偉大さ」に挑戦してきたのかもしれません
そう考えると
私たちは、「反抗期の子供」から「青年」に
成長していく途上なのでしょうね。
今年に入って
大きな被害の出た地震が2つ。
ニュージーランドと日本
単に影響を受けていないから
気づいていなかったものは
もっとたくさんあったはずです。
自然の力を見せつけられたとき
私たちはそのたびに
たくさんのことを学んで
いくのですが、
まだ、学ぶことがたくさんありそうです。
地球の鳴動、大気の鳴動という
大きな変化からだけでなく、
季節の移ろいからも
たくさん学ぶこと、あります。
冬の後には春が来ます。
自然は、厳しい冬の間
春に爆発させる生命力を蓄えます。
私たちも、あるいは
季節のままに、
過ごしてみるのも良いのかもしれませんね。
今、季節は春。
先日の震災からの回復途中の
方々もエリアもあります。
それでも、桜前線のように
被害の少ないところから
徐々に徐々に東進北上して
季節に任せながら
今のあるがままで
春を迎えていきましょうか。
いろいろなことに
積極的になりにくいとしたら
心だけは、自粛や我慢をせずに
春を満喫するのも理に適っているとは思いませんか?
ときにはなすがまま、あるがままで。
果物も
そういえば、いつでも食べられます。
今、「春」を感じるには
テレビ番組や、雑誌、メディア
商品パッケージ
そんなところから「春」を
感じることも少なくありません。
それでも、私たちは
「春は春らしくあって欲しい」し、
「夏は夏らしく、秋も、冬もそうであって欲しい」と
少なからず思っています。
日本に住んでいれば、
四季の変化は、文化だけでなく
生き物としての生活リズムにも
深く関わっているんだなと
思います。
そして、その変化は、
地球が誕生してから生み出してきた
何十億年というリズムの中の、
(おおっ大きく出ましたね)
ほんの小さな数ヶ月単位の
変化なのですよね。
そして、今、その変化を
「自分たちで分からなくして、
自分たちで確認している」
のかもしれません。
さらに、自分たちの力や
地球への影響力を
やっと今、気にし初めてもいます。
環境に関するここ十数年の動きは
「私たちが地球を守る」という愛“地球”心と
でも言えるかもしれません。
その意味では
私たちはこれまで、
「地球の寛容さ」に甘えてきたのかもしれません
そして、
「地球の偉大さ」に挑戦してきたのかもしれません
そう考えると
私たちは、「反抗期の子供」から「青年」に
成長していく途上なのでしょうね。
今年に入って
大きな被害の出た地震が2つ。
ニュージーランドと日本
単に影響を受けていないから
気づいていなかったものは
もっとたくさんあったはずです。
自然の力を見せつけられたとき
私たちはそのたびに
たくさんのことを学んで
いくのですが、
まだ、学ぶことがたくさんありそうです。
地球の鳴動、大気の鳴動という
大きな変化からだけでなく、
季節の移ろいからも
たくさん学ぶこと、あります。
冬の後には春が来ます。
自然は、厳しい冬の間
春に爆発させる生命力を蓄えます。
私たちも、あるいは
季節のままに、
過ごしてみるのも良いのかもしれませんね。
今、季節は春。
先日の震災からの回復途中の
方々もエリアもあります。
それでも、桜前線のように
被害の少ないところから
徐々に徐々に東進北上して
季節に任せながら
今のあるがままで
春を迎えていきましょうか。
いろいろなことに
積極的になりにくいとしたら
心だけは、自粛や我慢をせずに
春を満喫するのも理に適っているとは思いませんか?
ときにはなすがまま、あるがままで。